第一話 ―EX-world witches―



 船。というのはどうにも苦手である。
 欧州派遣の為に運送艦に乗り込んだは良いものの、出港から数時間で激しい頭痛と吐き気に襲われ、動く事もままならなくなった。
 水平線の向こう。空と海。青色の境界を優雅に眺めるなんて事も出来ず、戦前に欧米に渡航した際も船酔いで死にそうになった事を思い出しながら、灰色の部屋の中でただ毛布にくるまって、死んだ様に眠っていた。
 数日経っても頭痛その他は一向に良くならなくて。船医が少し外の風を浴びた方が良いと言うので、甲板に出て見たけれど、体調が優れない中動き回ったのが悪かったのか、また吐き気が込み上げてきた。
 激しく痛む頭を押さえながら、鉄柵に寄りかかる。力の入らない両足では自重を支える事もできず、そのままずるずると甲板に尻餅を突いた。
 「あ゙ー」と、およそ女性には相応しくないであろう、ダミ声が漏れる。
 そのまま空を見上げてみるも、久々に見た陽の光は眩しすぎて、私の視界に入り込んで来るのは白一色だけ。
 なにも見えぬままに、少し昔の事を思い出してみるけれど、碌に廻らない頭では、一つの物事を深く考える事も出来ず、走馬灯の様に色々な記憶が湧いてくるだけであった。
 扶桑に残してきた愛馬の事だったりとか。父と母の事だったりとか。小笠原の部下の事だったりとか。取り留めもなくそんな事を考えていると、唐突に「大丈夫ですか」との声が聞こえた。
 何時閉じてしまっていたのかも定かではない瞼を再び開けてみると、陽光を背に受けて、一匹の幽霊が私の顔を覗き込んでいた。
 船に幽霊なんて、性質の悪い怪談話みたいだと思ったけれど、何度瞬きしても、幽霊が消える事はなく。夢か、幻覚か。廻らぬ頭で色々と考えてみるも答えは出ない。
「どうぞ」
 そう言って幽霊が水筒を突き出してくる。塗装は殆ど剥げ落ちていて、泥と汗と血の跡が染み込んだ、使いこまれた水筒であった。
 返事をするのも面倒臭く、無言で受け取って水筒の縁に口を付ける。
 二口、三口。
 ごくごくと音を鳴らして喉を潤す。中身はただの微温湯ではあったが、気分を落ち着かせるのには十分。
 「立ち上がれますか」と幽霊が差し出した手を握り返す。思ったよりも温かく、柔らかな指が私の身体を引き起こしてくれた。
「ごめんなさい」
「いえ、ご無事な様で何よりです」
 どうやら、目の前にいるのは幽霊ではなく、一人の少女であるらしかった。
 歳の頃は15、6と言ったところだろうか、未だ少女然とした幼さが残る顔立ち。切り揃えた長い黒髪に、血の気の感じられない青白い肌。特に感情を浮かべる様子もなく、固定されたその表情。
 幽霊と間違えるのも無理はないな、と心中で苦笑する。夜中に墓場か柳の下にでも立っていれば見かけた者が卒倒するかもしれない。
 陸軍の制服を着用している事から、多分に彼女も魔女なのだろう。仮に白装束でも着られていたら、今でも幽霊と勘違いしていたかもしれない。
「貴女、名前は?」
「陸軍第14師団歩兵59第連隊第1大隊第1中隊、弘坂 真船軍曹であります」
 私の言葉に、彼女は惚れ々々するような敬礼を返す。
 負けじと私も精一杯の答礼で返すけれど、未だ力の入らぬ両脚は上半身を垂直に支える事叶わずに、右の膝小僧から甲板へと崩れ落ちた。
 そんな姿を見て、彼女は無言で私に肩を貸す。
 「度々ごめんなさい」と私は苦笑いを浮かべる。人前でこんな無様な姿を見せたのは初めてで……ベルリン五輪以来だろうか。
「お気になさらずに」
 「中佐のお役に立てるとは、光栄です」と彼女はその無機質な顔を小さく歪ませる。多分、彼女は微笑もうとしていたのだろうが、その硬い表情を無理矢理に崩そうとした結果、一層怪談話然とした顔へと変化していた。
「よく私を見つけられましたね」
 甲板で作業している者の邪魔にならぬ様にと、人目の付かぬ所で一息吐いていたのだ、間違っても魔女が通り掛かる様な場所ではない。
「声が聞こえまして」
 「世辞にも、健康的な声と呼べる物ではありませんでしたので」と彼女は言う。
 あのダミ声が聞かれていたと思うと、顔が熱くなる。欧州の人々から、そして扶桑国民からバロネスと持て囃され、私もそれに答える為にと日々研鑽を積んではいたけれど、ここに来て遂に化けの皮が剥がれてしまったようだ。
 そもそもだ。父が爵位を持っているから、私もバロネスと呼ばれているに過ぎず。ロサンゼルス五輪の事だってウラヌスの協力あっての事。私が英雄等と呼ばれる様な器の人間で無い事は少し考えれば判る事だ。遅かれ早かれ、鍍金が剥がれる運命だったのだろう。
 「幻滅したでしょう?」と苦笑いで彼女に問いかける。しかし、彼女は「いえ」と小さく否定するのみであった。それが本心からなのか、世辞なのかは私には判らないけれど。
 ブリタニアに到着したら、彼女に何かお礼と口留めを兼ねて、何か贈らなければいけないな、と引き摺られながら思案する。
 私よりも一回り幼い十代半ばの少女達には扶桑人形が、特に穴拭大尉や坂本大尉の物がとても人気があると聞いているし、欧州で贈り物を買うならばガリアやブリタニアの文学集や詩集というのも良いかもしれない。
「時に弘坂軍曹。貴女、今年で幾つに?」
 引きずられたまま、再度私は彼女に問いかける。
 すると彼女はその青白い顔を私に向けて、「数えで25になります」と失敗作の笑顔をまた浮かべた。



 ブリタニアに着いて、先ず私達に浴びせられたのは、フラッシュの雨であった。
 港には黒山の人集り。めかし込んだ女性達が黄色い声を上げ、人混みから弾き出されたであろう男性諸君は、煉瓦造りの倉庫の屋根に上って何か声を上げている。停止線の真ん前に陣取った新聞社の撮影技師達はファインダーを覗き込み、各々が「こっちを向いて下さい」と絶叫していた。
 疲れ顔に無理矢理笑顔を作って彼等に手を振ると、喧騒は一層大きさを増し、フラッシュの雨は嵐に変わる。人々の熱狂は既に暴動と区別がつかぬ程だった。
 そこかしこに並べられた軍用トラック。その中にぽつんと一際目立つ一台の乗用車がある
「お待ちしておりました」と頭を垂れる身なりの良い老紳士は多分運転手だろう。
「グローサー・メルセデス……」
 「メルセデス?」と私の呟きを拾い上げた弘坂軍曹が疑問符を浮かべる。
 「私の俸給一年分でも手が出ない、カールスラントの高級車です」と返すと、彼女も言葉を失っている様だった。
 それも仕方のない事。技術大国カールスラントが誇る世界最高級車が、何故極東島国の魔女二人如きを迎える為だけにやってくるのか、私にも皆目見当が付かなかった。
 笑顔で後部座席の扉を開ける老紳士。傷を付けては堪らないと恐る恐る乗り込んで腰掛ける。疲れた身体を包み込んで行く柔らかな座席は、軍用トラック等とは程遠い心地良さである。
 滑り出す車と、遠くなって行く光の群れ。人心地ついて、「凄い人集りでしたね」と息を吐く私に、「中佐の人徳の賜物でしょう」と弘坂軍曹が返す。
「魔女は世界中の人間の憧れの的ですから。別に私で無くとも良かったでしょうね」
 「アフリカの星」や「青の一番」、「鋼鉄の死神」といった見目麗しき、はたまた「サムライ」や「白の五番」の様な中世の騎士然とした魔女達を一目見るためと言うのなら理解も出来るが、この大戦で然したる功績を挙げた訳でもない、田舎からやってきたお上り魔女目当てなんて、リベリオンのジョークの方が気が利いているという物だ。
「いやいや、そんな事はありませんよ」
 しかし、私の言葉に、運転手が嬉しそうな声で反論する。
「扶桑のバロネス東を知らない者等、欧州にはいないでしょう。特に私の育ちはカールスラントですから、ベルリン五輪での貴女の心遣いは未だしっかりと覚えております」
 嬉しそうに笑う運転手とは対照的に、私は今すぐ車から飛び降りてしまいたい気分だった。
 あの落馬について様々な憶測が飛び交い、記者達は「同盟国カールスラントへ便宜を図った」等と書き立てたけれど、そんな意図なんて蚊程も無かったというのに。
 記者達に何を言われようと、にっこり笑って「ご想像にお任せします」と微笑んでいれば大抵は好意的に解釈してくれる。
 私は自尊心の塊の、独力で何かを成し遂げた事なんてないただの小娘だというにも関わらず、周囲の人間は私をバロネスと囃し立てる。私は己の価値を下げる事を恐れ、さも素晴らしい人物であるという風な笑顔で、人々に手を振る。
 それが、私が学んだ、自分の立場を利用した、卑怯者の処世術であったのだ。
 彼等の言葉を「それは違う」と必死に否定する勇気もなく、私はただ含み笑顔で「ありがとうございます」と運転手に返すのであった。



 ロンドン郊外の軍事教練所。それが、私が着任する部隊の駐屯地である。
 我々に教官任務に就いて欲しいという訳ではない。聞くに、この部隊は急造の丁稚上げで、まともな駐屯地を手配する事もできず、この教練所の片隅を借りる事になったとの事。
「扶桑陸軍、東 竹千代。弘坂 真船。着任報告に参りました」
 何処も予算不足は深刻であるらしい。
 別に、教練所を宿舎とする事に不満を抱いている訳ではない。風雨を凌げる屋根が有り、温かい飯が三食出る。この大戦で幾度となく味わった辛酸に比べれば、少なくとも私にとっては、まるで涅槃の様な環境であった。
 色褪せた屋根に、所々ヒビの入る壁。教練所の初見の印象は陰鬱。訓練場を走る魔女見習い達の声は、曇天の冬空を抜けていくことも出来ず、見えない霧の様に漂っている。
 司令室と綴られた真新しい表札の掛かる扉。塗装はあちこち剥げ掛けている。建て付けも余り宜しくない様で、ドアノブを引きちぎる覚悟で引いた所、奇怪な音を立てながら、ようやっと開く程。
「扶桑人は時間に正確だと聞いていたが、どうやらそれは間違いだったようだな」
 草臥れた革張り椅子に腰掛ける女性が、くすんだ壁に囲まれた小さな部屋に、低い声を響かせる。
 隣に立つ女性は秘書官だろうか。直立姿勢を崩さぬまま俯き加減で微動だにしない彼女から、表情は読み取れない。
「……本日十五三○時到着とお伝えしてあったと思いますが」
 先に確認した所、現在十五時を少し回った辺り。
「三十分も早い」
「……申し訳ありません、以後気を付けます」
「ああ、すまんな。何、ちょっとしたジョークだ、気にするな。何事も早いに越した事はない。『兵は神速を尊ぶ』。実によろしい」
 女性は背中を椅子に預けると、その長い脚を組み変えて、その険しい顔を一層引き締め、言葉を放つ

「ようこそ、カールスラント武装親衛隊義勇第150装甲旅団へ」

 カールスラント武装親衛隊。
 皇帝フリードリヒの為に創設された私設軍隊であり、知力、体力、そして容姿にすら設けられた厳しい基準を潜り抜けた兵のみが所属を許される、カールスラントの精鋭部隊である。
 最近はその基準をある程度緩めているとの話も聞くが、それでも武装親衛隊に入隊する事は未だ一種のステータスであり、それを誇りにする兵達の士気、練度は陸軍等の通常編成部隊とは一線を画すという。
 彼等の実力を示す逸話は枚挙に暇なく、「一両撃破される間にその十倍以上のキルスコアを挙げる部隊」だの、「航空型怪異を撃墜する装甲歩兵」だの、そんなプロパガンダ染みた話でさえも、まるで当然の真実として語られてしまう。
 そして、私の目の前に座る長身の女性。数々の武装親衛隊神話の登場人物として語られる、紛れもないカールスラントの英雄。
「武装親衛隊中佐、オリヴィア・スコルツェニーだ」
 鮮やかな朱色の唇。白磁と見紛う程に白い肌。武装親衛隊員の象徴たる制服の漆黒に溶け込んでしまうくらいに艶やかな黒の長髪。
 武装親衛隊員には、カールスラント国旗に習った赤地に白黒チェックのベルトが支給されると聞くが、まるで彼女の容姿その物が国家を象っているかの如くである。左頬に入る古い十字傷はカールスラント国旗の鉄十字その物ではないか。
「私は今回の一連の作戦において、将官と同等の権限を上から与えられている。東中佐は私よりも先任ではあるが、ここでは私が貴官の上官で、この部隊の隊長という事になる。不満はあるだろうが、どうか我慢して頂きたい」
「いえ、不満等、微塵も」
 先任であるからとか、階級がどうこうと言った話は、私にはどうでも良かった。
 下士官が経験の浅い新任士官の代わりに指揮を執るというのはよくある事であるし、部隊長はお飾りで、副官が実質的指揮官という事も珍しくない。
 階級や立場だけで戦争はできない。重要なのは、指示を下す者がどれだけ有能であるかという一点につきる。戦況を決めるのは一握りのエースではない。有能な指揮官と、彼等に使われる平々凡々な多数の兵卒達が戦争を変えるのだ。
 その点においては、このオリヴィア・スコルツェニー中佐は指揮官として仰ぐに申し分ない人物である。開戦時から常に最前線で戦い続け、魔女としての全盛期が過ぎて尚、指揮官として数々の軍功を打ち立てている。「グラン・サッソ強襲作戦」はその最たる物だろう。少なくとも、片田舎の小さな島で、馬と戦車を暇潰しに乗り回していたロートル魔女とは比ぶべくもない人物であるのは間違いない。
「バルクマン曹長、中佐と軍曹にこの学校を案内してやってくれ」
 スコルツェニー中佐が隣に立つ女性へと声を掛ける。しかし、女性はただ下を向いたまま答えない。
 そんな彼女を見、中佐は額に皺を寄せて溜息を吐き――
「起きんか、馬鹿者」
 ――手元にあったバインダーを勢い良く振り切り、角で女性の額を打つ。
「ファッ?!」
「立ったまま寝るのは構わんが、時と場所を選べと言っただろう」
 緩みそうになった顔に力を込める。唇を噛みしめて、痛いくらいに拳を握る。
 まさか上官の隣で立ち寝入りする兵がいるなんて。まさかスコルツェニー中佐がバインダーで殴りつけるなんて思ってもいなかったから。それもあの武装親衛隊員が、である。だから、そうでもしないと笑い出してしまいそうだった。
 隣に立つ弘坂軍曹をちらりと横目で見てみるけれど、彼女はいつもの様に無表情を張り付けたまま。
「ふぁい……申し訳ありません」
 曹長と呼ばれた女性は、瞳に涙を溜めて、赤く腫れた額をさする。
 小柄で儚げな印象の彼女。長身で厳格と言った雰囲気のスコルツェニー中佐との対比は、まるで親子の様。ただし穏やかな母と娘ではなく、父と娘といった雰囲気ではあるけれど。
 ふわふわと巻かれた色素の薄い髪等はまるで新品のぬいぐるみ。幼い頃には、それはそれは愛らしい少女であっただろうに違いない。
「武装親衛隊曹長、バルクマンです。お会いできて光栄です、中佐」
 緩んだ顔を引き締め直し、彼女は弘坂軍曹に負けず劣らずの素晴らしい敬礼を私に向ける。
 将兵の一挙手一投足は彼等の士気を示し、彼等の士気は部隊の錬度を示すと言っても過言ではない。流石は武装親衛隊といった所か。下士官の士気も申し分ない。先程立ち寝入りしていた事は忘れておこう。
 「こちらのお嬢さんは従兵ですか?」とバルクマン曹長は、弘坂軍曹へと視線を向ける。
 「扶桑陸軍軍曹、弘坂 真船であります。原隊では分隊長を務めておりました」との答えに、「これは失礼を」と曹長ははにかむ。
 先程「幼い頃には愛らしい少女であっただろう」と述べたけれど、どうやらそれは間違いだったようだ。整った目鼻顔立ちを柔和に歪ませる彼女の姿は、未だ愛らしいという言葉がぴたりと当て嵌まる。



 「この学校で教官をやらせていただいています」とバルクマン曹長は語る。
「とは言っても、ここに駐屯している間だけですが」
 スコルツェニー中佐の秘書官かと思っていたが、どうやらそれは違うようで。よくよく話を聞いてみるに、彼女も魔女として戦場に立っていた事が度々あるらしい。彼女も弘坂軍曹を従卒と勘違いしていたのだし、そこは、まあ、許してもらいたい。
 「昔の話です」と彼女は謙遜するけれど、魔女としての寿命が尽きて尚、教練所に教官として迎えられる程だ、その功績、才能共に並々ならぬ物だったのだろう。
 第150装甲旅団設立の際に、良い立地の基地が手配出来ず難渋したスコルツェニー中佐に助け船を出したのが彼女。兵学校の一部を駐屯地として使える様交渉する。代わりに、自身を戦闘員として入隊させて欲しいとの条件を出した。と、彼女は語る。
「どうして、また、そんな条件を?」
 至極当然の疑問が湧いてくる。
 一年間も戦い抜けば古参兵と讃えられるこの戦争。あがりを迎えたにせよ、傷病で一線から引いたにせよ、自らの職務を立派に勤め上げた。生きて還って来るまでに彼女が戦場で飲まされた苦汁の量を推し量るなんて出来ないけれど、少なくとも、ヨーロッパの大地は小笠原の様に何事も無く安穏と過ごせる様な場所ではない。
 その実力を評価され教官職という安定した立場も与えられた。自らその立場を捨てて、再び戦場に立つなんて余程の戦争狂か、あるいは死にたがりか。
「オリヴィア・スコルツェニーの下で戦える。魔女として、これ程誇らしい事はありません」
 「そして、あの東 竹千代の下で戦える事も」と付け加え、曹長はまた小さく微笑む。彼女の言葉に同調するように、弘坂軍曹も肯く。
 嬉し気に語る曹長と軍曹とに、何も言えなくなった私は「ありがとうございます」とまた苦笑いを浮かべる事しかできなかった。
 学舎では、少女達が気怠気な表情で講義を受けている。
 訓練場では、少女達が苦悶の表情を浮かべながら地面を這いずり回っている。
 私が教練を受けていた頃とは、学校の風景はまるで様変わりしてしまっているんだな。と不相応な感傷に耽ってみる。
 私が士官学校に入ったのは、もう10年以上前の事だ。
 一次大戦が終結して20年。あの頃は怪異の脅威も殆ど無く、世界中が平和を謳歌していた。
 私の様にただ漠然と士官学校に入り、何をするでもなく卒業した少女等山の様にいる。彼女等の殆どは戦争をする事もなく、漫然と過ごし、そして退役して行った。そしてどこかで結婚して、幾人かの子供をもうけて、普通の女性として健やかに余生を過ごしているのだろう。
 これは、未だ軍に残り嫁き遅れた私の嫉妬から出た皮肉でも、妬みでも何でもない。
 ただ、時代がそうであった。という事実を端的に述べているだけに過ぎない。
 時代は変わった。
 少女達は世界を救うという明確な意思を持たされ、引き金の引き方を覚え、戦場という人肉加工場へと出荷されて行く。
 普通は変わった。
 世界は変わった。
「ここが畜舎になります」
 魔女。という物は単体では力を発揮できない。それは軍隊と言う物の構造の話でもあるし、魔女自身の本質の話でもある。
 呪力を持つ少女は「使い魔」と呼ばれる動物と契約を結び、初めて一人前の魔女となる。
 何も、神話に登場する様な神々しい力を持った獣だとか、禍々しい姿の魔物でなくとも良い。家畜の猫や鳥、それこそ道端に転がっている犬でも良いのだ。
 何故、動物と契約しなければならぬのか。なんて疑問は些細な事だ。
 何故、魔女は超人的な力を持ち、怪異を屠る事が出来るのか。といった疑問の方が重要だろう。
 どちらにも、明確な回答なんてないのだけれど。
 兎に角、魔女になる為には一人につき一匹の使い魔が必要である。
 どの戦場にも、当然魔女と同じ数だけの使い魔が存在する。そこで問題になってくるのが彼等の世話だ。猫や犬とて、霞を食って生きている訳ではない。彼等だって腹は減るし、眠くもなる。小動物数匹であれば、軍馬や軍犬の世話のついで、という事もできよう。実際、装甲歩兵数人が配置される程度であった私の連隊では、特に苦を覚える事なんてなかったはずだ。
 問題は、私の隊が特殊であったという点だろう。
 使い魔というのは何も犬や猫だけではない。狼、猛禽は当たり前、聞く所によると黒豹、果ては北極熊の様な大型肉食動物を使い魔にしている者もいるという。
 最前線を支える部隊に十数人の魔女が配置されるといった事は日常茶飯事。場合によっては数十人の魔女が投入される事すら有り得る。
 仮に部隊の魔女全てが小動物を使い魔にしているとして、それら十数の獣の世話はどうすればいい?
 そして、どこの教練所も同じ問題を抱えている。
 数十、数百の魔女見習いの、数十、数百の使い魔の世話を片手間に行うなんてまず不可能。
 まさか魔女の友人、力の源たる使い魔を無碍に扱うなんて出来ようはずもなく。こうして使い魔の為に畜舎を作るのである。
 畜舎の中はまるで動物園。見渡す限りの動物、動物、動物。数十種類の犬猫から、様々な色の鳥類。寝転がる水牛の周りを豚が鼻を鳴らしながらうろつき回り、だらんと伸びた獅子や狼は暇そうに尻尾をぱたぱたと振っている。
 それこそ、入場料でも取ってしまえば、小さな部隊の運営費を賄う程の利益を上げるのも夢ではないだろう。あの東京上野の動物園すら小さく見える程なのだから。
 「それと、離れに馬舎を作りました」とバルクマン曹長は畜舎の外れを指す。
「まさか、あのウラヌス号を我々の使い魔と共に動物園に放り込むわけにはいかないでしょう」
 「お眼鏡に適うと良いのですが」と語るバルクマン曹長。そんな彼女に残念な事実を突き付けるのは胸が痛んだ。
「非常に言い難いのですれど、私の使い魔は馬では無いのです」
 「え?」と疑問符を浮かべて、曹長が振り返る。そして、表情はいつものままながら、弘坂軍曹も私の方へと顔を向ける。
「ウラヌスは扶桑に残して来ました」
 「本当にごめんなさい」と頭を下げる私に、「こちらの不手際ですから、どうぞ頭を上げて下さい」と彼女は額に汗を浮かべて話す。
 とはいえ、数銭数円で建てられる程安い買い物ではないのも確か。この教練所の現状を見る限り、予算を捻出するにも相当な苦労があっただろうというのは想像に難くない。
 馬術で五輪に出場したからか。それとも、あの時のスピーチが人々の琴線に触れたからなのかは解らないけれど、私の使い魔が馬だと思っている人々は、国内外問わず数多くいる。そしてそれは彼女等も例に漏れなかった様である。
 ささやかな自慢であるけれど、私は世界一の名馬を所有している。
 名はウラヌス。少々気は荒いが、見目麗しく、頭も切れる。15の小娘が乗って尚、五輪馬術競技で金メダルを獲得できる程の馬と言えば、その素晴らしさが解るだろう。
 ウラヌスは私にとって小さな妹の様な存在であった。
 暇があれば一緒にいたし、兎に角世話を焼いた。取材に来る記者達も、私とウラヌスの逸話を求めていたし、写真家も「二人」の写真を撮りたがった。
 新聞や雑誌に載る私の隣には常に彼女がいたのだ。ウラヌスを私の使い魔と間違えるのも致し方ない事であったし、それを伝えなかったのは私の不手際だ。
「慣れ親しんだ動物を使い魔にする魔女は多いですから、中佐も同じものだとばかり」
「私も当初は馬を、ウラヌスを使い魔にする事も考えたのですけれど」
 先に述べたように、私にとってウラヌスは妹同然の存在である。
 満足に言葉も話せぬ、武器を握る事もできない自分の妹を戦場に連れて行けと言われて「はい」と答える者が何処にいる?
「とは言え、今の使い魔を死んでも構わない者と思っている訳でもないのです」
 使い魔とは、魔女の無二の友人でなければならない。「戦場で己の命を預けるに足る者」と言い換えても良いだろう。それは我々が使い魔に命を預けるというだけではなく、使い魔も我々に命を預けるという事だ。
 親兄弟に私の命を、人生を背負わせる訳にはいかない。けれど、人生には互いの命を任せられるだけの友人が必要なのだろうと思う。
 私の言葉に、彼女は「なるほど」と数度頷く。
「それで」
 「中佐の本当の使い魔は?」と問いかける曹長に、私は腰にぶら下げた水筒を掴み彼女の目の前に掲げて見せる。
「水筒?」

「龍の子供が入っております」



 そうして最後に連れてこられたのは宿舎、その端。
 「お部屋はこちらになります」と、先を行くバルクマン曹長。そして、その部屋の前で扉に背中を預けながら、何かの書類を眺めるスコルツェニー中佐。
「思ったより早かったな。まあ、この教練所で見るものと言えば、魔女の整った顔くらいしかないからな」
 「おじさんみたいですよ、それ」と、言う曹長の頭を、中佐はバインダーの角で小突く。
 額を押さえる曹長を尻目に、「中佐、軍曹。悪い知らせがある。それも中佐には二つ」と、スコルツェニー中佐は続ける。
「まず中佐。着任早々ですまんが、早速任務が入った。非常に重大な任務だ、この部隊の存続に関わる」
 険しい顔の中佐を前に、私は再び背筋を正し直す。
 オリヴィア・スコルツェニーの部隊へ配属されると聞いてから、当然覚悟してきた事だ。
 彼女の率いる隊は精鋭中の精鋭部隊として、数々の困窮した戦線に、困難な作戦に投入されてきた。例え第150装甲旅団が新設された部隊だろうと、スコルツェニーが隊長を務める部隊という風評は付いて回る。
 「精鋭部隊だという自覚を持って行け」「配属一日目で勲章を抱えて帰還するつもりで行け」と、栗林中将に何度キツく言われた事か。
「今夜、ロンドンで政治家や将校達が立食パーティを開くらしい。中佐には私と一緒に出席してもらいたい」
「パーティ?」
 拍子抜けして間抜けな声を上げる私に、中佐は「不服かね?」と、不敵に笑う。
「いえ、不服等、何も」
「この任務は非常に重大だ。冗談でもなんでもない。見て解る通り、この部隊の予算は厳しい。このままだと槍と盾で戦う事になりかねん。そこで、だ。社交界の星、バロネス東に彼等を籠絡して頂きたいと言う訳だ」
 なるほど。と一人心中で納得する。
 槍と盾で戦うと言うのは彼女なりのジョークだろうけれど、予算は多いに越した事はない。我儘を言わせて貰えば、そのパーティを開く為の予算を現場に振り分けて頂きたくはあるけれど。
「親衛隊と言えど、最新式装備を優先的に受領できる訳ではないのでな」
 それにしても「社交界の星」とは、なんともむず痒い響きである。
 私がした事と言えば、城戸中佐の後ろについて回って、ただ微笑んでいただけ。要人達と会話を弾ませる彼女に、飲み物を渡して、食べ物を取り分けるだけだ。城戸中佐はそんな私の頭を撫でて「良く気の利く、良い子でしょう」と煽て挙げ、男性諸氏もそれに笑顔で肯いていたけれど、逆に言えば私にできるのはその程度の事だけだった。
 教えられれば、稚児でも出来る様な事しか出来ぬ女が、「社交界の星」とは。
 これもまた、ちょっとしたジョークと受け止めておく方が、心持ちは楽なのかもしれない。
「さて、もう一つの悪い知らせだが。義勇第150装甲旅団所属の装甲歩兵は全部で十二人。こちらで用意できた寝室の数は四つしかない」
 その長身に、堅苦しい口調、相応の低い声から、謹厳、実直と言った雰囲気を纏うスコルツェニー中佐だが、その実、非常にユーモアに富む人物であるらしい。バルクマン曹長が彼女の隣で立ち寝入りしていたというのも、そういった中佐の人と成りを理解していればこそ、という事だろう。
「既に曹長から聞いているとは思うが、我々はここを間借りしている立場だ。我儘は言えん。全員相部屋で生活してもらう。まあ、隊員全てがほぼ初対面だ。隊員同士の親睦を深めると言う意味では良いかも知れんな」
 悪い知らせと言えば、悪い知らせ。
 我々も曲がりになりにも女性の端くれ。年相応に羞恥心だって持ち合わせている。
 これが思春期の少女達であれば、不満を口に出す者もいるだろう。諸手を挙げて、私生活を他人と共にしたいと思う事なんてある筈もないし、睡眠時くらいは誰に気を払うこともなく、気兼ねなく眠りたいといった事もあろう。
ただ、どちらも、私にはどうでも良い事であった。先にも述べた通り、私は風雨を凌げる屋根が有り、温かい飯が出ればそれでいい。戦場に出てからと言うもの、ただ「寝る」という行為にすら幸せを感じる程の苦難は幾度ともなくあった。泥の中で眠りに就く事に比べれば、洗い立ての布団の中で寝られる事程幸せな事は無い。砲撃音や銃声、腐臭の中で眠る事に比べれば、人と床を共にする等気にする様な事ではない。
「中佐は私と同室で端の部屋。軍曹は他の下士官と共にそちらの部屋を使ってくれ」
 「了解しました」と答える弘坂軍曹の面持ちはいつもと変わりなく。何も問題はないと言った表情で、中佐へと惚れ惚れする様な敬礼を向けるのである。



 「大尉、東中佐がお見えになった」とスコルツェニー中佐が扉を数度叩く。
 どうやら部屋には先客がいるらしい。魔女は十二。部屋は四。割れば三になるのは自明である。
 「親睦を深めると言った以上、佐官だけが広い部屋で優雅に過ごす訳にはいかんだろう」とは中佐の言である。
 しかし、部屋から返事は返って来ない。
 怪訝な顔で部屋の扉を引く中佐。傾いて外れかけたドアノブは本来の役目を碌に果たさず、然したる力を掛けずとも扉が開く。
 部屋では一人の女性がベッドの上に寝転がり、小さな兎と戯れている所だった。扉が立てる奇怪な音に気付いたか、兎を抱えたまま、彼女は視線をこちらに向ける。
 数瞬の沈黙。
 まるでバネ仕掛けの玩具の如く。彼女はベッドの上に兎を放り投げ、飛び跳ねる様にベッドから転げ落ちて来る。
 驚いた兎は、ベッドの上を縦横無尽に跳ね回り、壁に頭をぶつけて、そのままゆっくりと壁とベッドの隙間へ落ち込んで行った。
「失礼しました……」
 身形と背筋を正し、彼女もまた惚れ惚れする様な敬礼を我々に向ける。
 漆黒の上着に、赤地に白黒チェックのベルト。紛れも無いカールスラント武装親衛隊の制服である。所々煤け解れたそれと、ズボンに括り付けられた鈍く光る十字章は、彼女が歴戦の兵である事を物語っていた。
「使い魔を無碍に扱うのは感心せんな、大尉」
 そしてスコルツェニー中佐が答礼と、辛辣な一言を彼女へと返す。
「返す言葉もございません……」
 ベッドの下からのそのそと這い出てきた兎は、ぶぅぶぅと怒声を発し、その強靭な後ろ足で己の主人を何度も蹴り付け、抗議の意を示している。
「扶桑の東 竹千代中佐だ。本日から我々と同室で生活して頂く事になった」
「武装親衛隊大尉、ローザリンデ・メビウスです……」
 籠った声に、長い前髪に隠れた伏し目がちな眼。彼女の挙動一つ一つは素晴らしく洗練されてはいるけれど、彼女の発する雰囲気はただ、ただ、暗い。
「東 竹千代です。上官二人と同室と言う事で、色々と思う所があると思いますけれど、どうか楽にして下さいね」
 私の言葉を聞き、彼女は上半身は真っ直ぐに伸ばしたまま、揃えた両足を肩幅程度に開く。所謂「休め」の姿勢である。
 確かに、上官に「楽にしろ」と、言われれば私もそうするだろう。ただ、私と彼女の間に、何か致命的な齟齬があるのも、また確か。
「気を張りすぎだ大尉。戦場に行く前に過労で倒れて貰っては困る」
「お二人の前で醜態を晒す訳にはいきません……」
「男を連れ込む以外は好きにして構わんと言ったろう」
「ですが……」
 「まあ、座れ」と、スコルツェニー中佐はベッドの上へと書類の束を放り出し、彼女に着席を促す。困った様な顔でメビウス大尉はベッドの縁に座り、中佐もまた彼女の隣へと腰掛ける。
 中佐が大尉の肩を抱く。そして、身を強張らせる大尉の耳元へ唇を寄せ、「先程の姿も十分に醜態だぞ」と、彼女を諭す。
 その言葉に大尉は「申し訳ありません……」と萎縮し、中佐は小さくなった彼女の身体を唐突にベッドの上へと押し倒す。
 軋むベッドと、柔らかな布団に沈んでいく二人の身体。
 驚きの表情を浮かべる大尉に向かって「東中佐に一番恥ずかしい姿を見て貰え。そうすれば後は気兼ね無く生活できるだろう?」と中佐はその低い声で、甘く、囁く。
 メビウス大尉も女性としては幾分か大柄ではあるけれど、成人男性と比べて尚、長身であるスコルツェニー中佐には、いとも簡単に抱き竦められてしまう。
 大尉の身体を押さえ付けるその両手は、まるで手品の様に、豊満な身体を包む窮屈な制服の釦を器用に外し、まるで何か別の生き物の様に、ぬるりと、下腹部と、服の中へと伸びて行く。
「中佐、何を――うひゃひゃひゃ、あは、あはははははは、ちゅ、中佐、あははは、やめちくり〜(挑発)、あはははははは」
「無駄に肉が付き過ぎだ。女としては及第点だが、軍人としては失格だぞ」
 肌蹴た制服の隙間から潜り込んだ両手は泥の中を這いまわる泥鰌や鰻の様に、メビウス大尉の腋と脇腹の上を動き回り、身体を弄られる大尉は案外に可愛らしい笑い声を上げる。
 どうにか抜け出そうと彼女は必死の抵抗を試みるも、「上官に暴力を振るう気か?」との言葉に、どうする事も出来なくなって、ただ、されるがままに笑い続ける。
 たっぷり数分間。中佐は大尉の身体を弄り続けた後、さも良い仕事をしたといった風な面持ちで、体を起こし額に流れる汗を拭く。
「見苦しい所を見せたな、中佐」
 何事も無かったかの様に、乱れた制服と、その綺麗な顔を整え直してスコルツェニー中佐は言う。
「武装親衛隊は規律や規則を重んじると聞いていましたけれど、どうやらそれは間違いだったようですね」
 二人の「恥ずかしい姿」を前に、堪え切れず、くすくす笑う私。
「親衛隊の規則には、部下の身体を弄ってはいけないとは書いてはいないからな」
 言ってやったり。と、くつくつ笑う中佐。
「まあ、規則を守るに越した事はない。ただ、コレは少々融通が効かなすぎる」
 スコルツェニー中佐が顎で指す先。ベッドの上には服と髪を肌蹴させ、上気した顔で必死に空気を吸うメビウス大尉が転がっている。
 「どうやら戦争のし過ぎで、息抜きの仕方も忘れてしまったらしい」と中佐はまたくつくつ笑い、私もまた続いて笑うけれど、考えてもみれば、酷く黒いジョークである。 
「さて、私はそろそろ書類整理に戻るが、中佐にはこの書類に目を通しておいて欲しい」
 中佐はベッドの上に散らばった数枚の書類をバインダーへと纏め直し、私へと差し出す。一番上にあるのは、流麗な文字で書かれたオリヴィア・スコルツェニーという一文と彼女の顔写真。
「旅団所属の装甲歩兵の履歴を纏めておいた。大した事は書いてない。空欄に気付いた事を適当に書き込んでくれても構わない」
 一枚目、スコルツェニー中佐の履歴の空欄には「鬼、悪魔、老け顔、若ハゲ」等々と言った小学生の如き悪口が書き殴ってある。
 ぱらぱらと書類を流し読みても、書かれているのは身長、体重、階級、国籍等々少し調べれば判る事ばかりと、中佐が書き込んだと思われる寸評がいくつか。
 重そうなブーツを鳴らし、中佐は踵を返す。その長い脚を大股にしながら歩く姿は、軍人らしい威圧感に満ち溢れていて、女性らしさの欠片もない。
 そうして部屋を去る彼女は、壊れたドアノブを慣れた手付きで器用に回し、何故か突然に蝶番が一つ外れて傾く扉に「ファッ?!」とまた女性らしくない小さな驚きの声を上げるのである。
 残された私は部屋に二つあるベッドの片方へと腰掛ける。当然もう片方のベッドの上にはメビウス大尉。
 さてはて、これからどうしたものか。と、一人思案。
 親睦を深める。と、一言に言われてみても、どうれば良いのか皆目見当が付かなかった。
 先程、スコルツェニー中佐が「戦争のし過ぎ」とジョークを飛ばしていたけれど、それは十年以上も軍人をやっている私や彼女自身に対する、酷い皮肉の様にも感じられた。
 私は人との付き合い方等何も知らない。私が知っているのは上官としての立ち振る舞いと部下としての立ち振る舞い。つまりは、軍人としての生き方くらいだ。
 私の事を慕ってくれる者は老若男女問わずいたけれど、それは「扶桑陸軍のバロネス東」を慕っているにしか過ぎなかった。
 皆が求めていたのは「バロネス東」であり、私は常に皆が求める私で居ようと、皆の期待通りに振舞う事に努めた。
 バロネス東は男爵家の一人娘で、庶民とは住む世界が違う。下々の物にも分け隔てなく接してくれるけれど、親密になりたい等との出過ぎた我侭で、彼女を困らせるべきでは無い。彼女は高嶺の花なのだから。
 花は手が届かぬからこそ美しいのだと思う。摘み取ってしまえば、後はもう枯れるだけでしかない。
 私は卑怯者である。
 人々が無条件で慕ってくれる立場を捨てる事等出来よう筈も無く。私は花でいる事を心がけた。そして、私は「扶桑陸軍のバロネス東」で居続ける間に、「バロネス東」以外の振る舞い方を忘れてしまった。
 私は何も知らない。
 私は独力で何かを成し遂げる事等出来ぬ、ただの小娘なのだ。
「ローザリンデ・メビウス」
 何かヒントは無いだろうかと、取り敢えずにメビウス大尉の履歴書を眺め、その名前をなぞってみる。
「なんでしょう……?」
 私の呟きに、ようやっと息を整え直した大尉が返事を返す。
「少々杓子定規な所がある。痩せろ。甘い物に目が無いと思われる。痩せろ」
 履歴に書かれた寸評をつらつらと述べてみると、大尉はその頬を再び赤に染め直す。
 「お菓子、お好きなんですか?」と私が問うと、彼女は一度自分の腹周りに目をやってから、一呼吸おいて「はい……」とその籠る声で答える。
 化粧気のない顔に、あまり手入れのされていないであろう痛んだ髪の毛。きちりと着こなしてはいるけれど、飾り気のない煤けた制服。未だ垢抜けぬその風貌からは、失礼ながら、年相応の女性らしさは感じられない。しかし、体形を気にする辺り、内面の方は十分に女性であるらしい。
「ブリタニアのお菓子は特に美味しいですものね」
 スコーン、ケーキ、タルト、ビスケット、ファッジ。ティータイムの文化を重んじるブリタニアでは、お茶受け菓子への力の入れようも生半可な物ではない。
 一度戦場に出てしまえば、口にできる甘い物は携帯食料として支給される小さなチョコレートくらいという軍人生活。些かステレオタイプ然とはしているけれど、年頃の少女にとって、甘い物を碌に口にできないというのは死活問題である。好きなだけ食べられる内に好きな物を食べておきたい。というのは至極当然の欲求ではないか。
「私も好きですよ。お菓子」
 女の子。と言うには憚られる歳にはなってしまったけれど、昔は私も人並み程度に甘い物を愛する少女であった。
「好きなだけお菓子を食べてみたいと思った事もありましたけど、でも、私もそろそろお肉が気になる歳ですから」
 いくら食べても太らない。いつでも腹が空いている。なんて時代はとうに過ぎ去った昔の話で。今の私は、質量保存の法則を忠実に再現する、中年太りを気にし始めた、草臥れた普通の女である。
 メビウス大尉は顔を上げ、私の身体をちらりと眺める。そうして再び自分の腹周りに視線を落とし、「亜細亜人はずるいです……」と今にも泣きそうな顔で呟く。
「私だって努力しているんです……毎日のティータイムに食べるケーキは一つだけにしてますし……コーヒーだって砂糖の数を減らしました……訓練だって手を抜いた事は……多分……ないですけれど……」
 そうして、ぽつぽつと恨み辛みの言葉を並べていく内に、彼女の瞳からは大粒の涙がぼろぼろとこぼれ出し、仕舞いには嗚咽交じりの声で咽び泣き始めた。
「あ、あの……ええと、その」
 様々な少女が、様々な場所で、涙を流す姿を見てきたけれど、二十そこそこの女性が、三時の間食の話で号泣するなどといった事は初めてである。
 優しい言葉の一つでも掛けてやれば良いのだろうが、発端は私の言葉で、無知無能の私が再び思慮浅い慰めの言葉を掛ければ、状況が悪化するのは目に見えている。
 「私も結構太っているんですよ。ほら、見て下さいこの贅肉!」
 どうにも行かなくなった私は、何を思ったか、己の軍服の裾を捲りあげ、腰回りに溜まる皮と肉を摘んで、食っても太らぬ不思議生物ではない事を声高に主張してみる。
 私の声に、彼女は顔を覆う指の間から、またちらりと涙を蓄えた瞳で私の方を覗く。
「それに太股周りですとか、お尻周りですとか」
 十年前にはそれなりに引き締まり、愛馬に負けず劣らずの美脚と褒め称えられた下半身は、離島での怠惰な生活の結果、見事に脂肪を蓄え、今や豚か牛になろうかという具合である。
「ああ、そうだ中佐。集合時間と場所だが一八〇〇時に教練所の駐車……場へ……」
 突然に響く、奇怪な高い音と低い声。何事か。と、私とメビウス大尉が視線を扉の方へ向けると、何か不味い物を見たといった表情のスコルツェニー中佐が、先程とは違った汗を額に浮かべていた。
 そして、その顔を無理矢理に、引き攣った笑顔に変えて「……すまんな」と、彼女はゆっくりと扉の向こうへと消えていく。
「待って下さい中佐!違います!」
 バネ仕掛けの玩具の如く。飛び跳ねる様にベッドから転げ落ちて。中佐の元へと駆け寄って、扉の隙間に無理矢理に腕を差し込み、何か多大な誤解をしているであろう、彼女に言い訳を試みてみる。
 「大丈夫だ、問題ない。中佐が大尉に対し自分の裸体を見せつけようとしていた事は他言しない」 
「ですから誤解です!」
「いいんだ、気にするな。ノックを忘れた私が悪い」
 中佐の誤解を解くべく、「メビウス大尉も、中佐に何か言って下さい」と助け舟を求めて部屋の中へと振り返ってみる。
「東中佐が……中佐が突然……」
 けれど、メビウス大尉の言葉は嗚咽によって分断されて。断片となった彼女の言葉は、傍から見れば、まるで私が彼女に性的暴行を加えんとした様に繋がるのである。制服は乱れたままというのも一層に誤解を助長させるだろう。
 スコルツェニー中佐が顔を覆って咽び泣くメビウス大尉を見る。誤解を解こうと必死に否定する私の顔を見る。そして、何か言いあぐねているのか、中佐は視線を明後日の方向へと泳がせ始める。
 縋りつく扶桑の女と、それを抱きとめるすらりとした麗人。「ああ、何かどこぞの小説にありそうな情景だな」と不謹慎ながらそんな事が思い浮かび、次に「睫毛が長くて綺麗な眼だな」とか「額の形が凄く綺麗だな」とか「中々に良い匂いがする」とか、そんな下らない考えが浮かんでは消えるくらいに、長い長い沈黙。その間に彼女の視線は虚空をぐるりと一泳ぎして、私の前へと戻ってくる。
「一口に親睦を深めると言っても色々あるからな、そういう趣味嗜好を否定はせん。ただ、一つ言わせて貰うとすると、嫌がる相手に無理矢理というのは非常にまずいぞ」
「違います」



 集合時間の三十分程前に駐車場へと向かってみると、スコルツェニー中佐が二人の女性と談笑している姿が見えた。
「お待たせして申し訳ありません」と小走りで駆け寄る私に気付いた中佐は、取り出した懐中時計を覗きこみ「三十分早いな。新しい時計に買い直した方が良いぞ中佐。ヘルウェティア製がお勧めだ」と真面目な顔で不真面目な事を言う。
 だから私も「ええ、やはりカールスラント製は駄目ですね」と私も真面目な顔で返して見る。
「メーカーに直接苦情を言っておくとするよ。扶桑のバロネス東が『ここの時計は糞以下だ。サイコロの目の方が信頼できる』と憤慨しておられたと」
「私の発言を捏造して、外交問題を作るのはお止め下さい」
「『こんなガラクタで人から金を掠め取ろうとは良い度胸だ。一人残らず真冬のドーバーに沈めてやる』だったか」
「流石にそこまではいたしません。二度と時計を作れないよう、指の一、二本はへし折りますけれど」
 閑話休題。
「こちらのお二人も一緒に?」
 スコルツェニー中佐の隣に立つ二人。
 流れるような黄金の髪に白い肌、降ろし立てであろう糊の効いた軍服を着こなす女性。くすんだ白髪に褐色の肌、使い込まれ草臥れた軍服を着崩す女性。見目が与える印象は対照的な二人ではあるが、ただ、精悍な作りの顔立ちの中性的美女という点だけは共通していた。
 魔力を持った女性は見目美しく育つとは言うが、二人の様に男性的とも思えるような顔を持った魔女というのは余り聞かない。
 「魔女が街を歩けば、すれ違う男性全てが振り向く」と言った冗談もよく聞くけれど、彼女等二人に背広でも着せて街を歩かせれば振り向く者の半分は女性になろう。
「履歴にもあった通り、彼女等も第150旅団の隊員だ。ビヨット中尉にペガマガボウ軍曹。中尉は父君が、軍曹は母君が、前大戦で多大な功績を挙げた軍人でな。前大戦従軍経験の多いお偉方を相手にするのには丁度良いだろうと思ってな」
「失礼ですが中佐。父の名誉の為に言わせて頂ますと、父は今大戦でも多くの功績を挙げております」
 確かに、履歴にはその様な旨が書かれていたのを覚えている。
 ガストン・ビヨットにフランシスカ・ペガマガボウ。一次大戦史を学んだ物なら知らぬ者はいない、ガリア、ファラウェイランドの英雄である。
 なるほど、高官達を篭絡するのにこれ程適した人材も居まい。特にビヨット将軍の愛娘となれば、高官らの会する会食等慣れた物であろう。少なくとも、極東からのお上り魔女よりは役に立つのは間違いない。
「ミレーユ・ビヨットです。初めまして、中佐」
「東 竹千代です。お久し振りですね、中尉」 
 澄ました顔で敬礼を向けるビヨット中尉に、にこりと微笑み返事をすると、彼女は私の言葉に「え?」と気の抜けた声を上げた。
「知り合いかね、中佐」
「ええ、十年程前に一度」
 彼女と出会ったのは、ベルリン五輪が終わり、欧米を周遊していた頃だったか。
 精悍な顔立ちに、堅苦しい軍服に身を包んだ彼女は、今でこそ中性的美女といった風貌ではあるけれど、当時は不安げな目で父親の後ろをついて歩く、ごく普通の、いや少々気の弱い少女であった。
 父に促されてか細い声と共にお辞儀する少女と、瞳と眉に力を込めて敬礼を向ける女性は似ても似つかぬ。私とてスコルツェニー中佐の纏めた書類がなければ、十年程前に出会った少女本人だとは気付かなかったであろう。
 「あ、あ、ああ、あああのベルリンの時の?」と合点がいったという風に声を荒げ、「申し訳ありません!」と慌てて取り繕う彼女の姿にも、記憶の中ではにかむ少女の面影は欠片も無い。
 「ファラウェイランド陸軍、ドルシラ・ペガマガボウです。多分、一度もお会いした事はないと思いますが」と褐色の肌の女性はくすくす笑う。
 「ええ多分、初対面でしょうね」と私もくすくす笑う。そんな私達二人のやり取りを見てスコルツェニー中佐はくつくつと笑い、ビヨット中尉は真っ赤になった綺麗な顔をその綺麗な手で覆うのである。
「車の運転は私がしよう。事故を起こした時の窓口は一つにしておいた方がいいだろう?」
 少々不吉な言葉を吐いて、中佐は率先して運転席へ。
「バロネス東を事故に合わせたとなれば、扶桑のカールスラント大使館が襲撃にあって炎上するかもしれませんね」
「扶桑人がそんな過激な事をするとは思えんな。ただ、カールスラント大使が偶然事故死する事はあるかも知れん。偶然な」
 聞くにこのメルセデスは借り物。それもヒムラー武装親衛隊総司令の私物だという。
 また恐る恐ると扉を開き、ゆっくりと座席に腰掛ける。しかし、昼間とは違って座席の柔らかさを感じる余裕は欠片も無い。
 「多少傷を付けた所で、怒る様な方ではないよ」とスコルツェニー中佐は言うけれど、武装親衛隊の頂点に立つ人物の私物、気軽に扱える様な物では無いのも確か。
 滑らかに動き出す景色。息を吐く私。
 軍曹は「軍用トラック等とは全く違いますねヒャッホウ」と歓声を挙げ、中尉は柔らかな座席の生地をうっとりした表情で何度も撫でつけている。
「上に頼めば、一台くらいは都合を付けて貰えるかも知れんぞ。費用は自己負担だろうがな」
「中佐が全額負担してくれるのでは?」
「軍曹を娼館に売り飛ばせば賄えるとは思うのだが」
「おお怖い怖い」



「あれが第501統合戦闘航空団のヴィルケ中佐。隣にいるのは扶桑の坂本少佐か」
 第501統合戦闘航空団。通称「ストライクウィッチーズ」。世界各国のエースを掻き集めた、名実共に世界最強の航空魔女隊。そして、その航空魔女隊設立当時から隊長を務めているのがミーナ・ディートリンデ・ヴィルケ中佐である。
 燃える様な赤毛の長髪が与える印象とは対照的に物腰は柔らかく、政治家達に笑顔を振りまく姿に「女公爵」という二つ名の片鱗は見当たらない。赤のドレスを優雅に着こなし、ころころと笑う彼女はさながら宗教画の聖母像。
 私の経験則によれば、エースと呼ばれる人物は総じて一癖も二癖もある人物が多い。各国選りすぐりのエースとなれば、相当な癖者揃いであろう。それ程の魔女達をまとめ上げる女傑となれば、どれ程恐ろし気な人物かと思っていたが、拍子抜けする程に優し気な女性であった。
「武装親衛隊オリヴィア・スコルツェニーです」
「初めまして。扶桑陸軍の東です」
スコルツェニー中佐に続いて、私が得意の卑怯者の笑顔を浮かべると、彼女は「お噂はかねがね」と悪意の欠片も見えない柔和な笑顔を浮かべ、返事を返してくれるのだ。
 「坂本大尉も。映画の方、拝見させて頂きました」
 ヴィルケ中佐の隣に立つ坂本大尉――欧州出向中は少佐だったか――にも声を掛ける。
 興味を持ったヴィルケ中佐が「美緒、貴女映画に出た事あるの?」と、坂本大尉に問いかけ、大尉は「昔、少しな。ただの端役だったんだが」と気恥ずかしそうに答える。
「初めて見た貴女は、北郷少佐の訓練について行けず泣いてばかりいた小さな女の子でしたのに。たった数カ月で救国の英雄にまで上り詰めるとは、思いも寄りませんでした」
「……何故、それを?」
 私の言葉に、訝しげな表情を浮かべ、今度は坂本大尉が問う。
「大空のサムライ、坂本 美緒の活躍を知らぬ扶桑人等いないでしょう?」
 「扶桑海の閃光」を見ずとも、あの戦いを勝利に導いた殊勲部隊の事を知らぬ扶桑人がいるはずもない。ましてや坂本 美緒と言えば、宮藤博士と共にストライカーユニットの発展、完成に尽力した人類の救世主ではないか。十年、二十年後に教科書を開けば名前と肖像が乗っている事は間違いない人物である。
 しかし、坂本大尉の疑問符は別の所に立っていたようで、「『扶桑海の閃光』は穴吹大尉の主演の映画です。ほんの端役だった我々舞鶴航空隊の話が収められているはずもないですし、撮影した覚えもありません」と、彼女は続ける。
「加藤大尉を打ち負かした模擬戦闘、素晴らしい左捻り込みでした。それに貴女が浦塩で初めて敵機撃墜を記録した時も。戦車隊が退却する時間を稼いでくれた時も。全て地上で拝見させて頂きました」
「まさか……」
「我々が不甲斐無いばかりに、浦塩が陥ち、本土を危険に晒した事は悔やんでも悔やみ切れません。そして窮地を救って頂いた魔女挺身隊に、戦車第一連隊一同感謝しても感謝し足りません」
 扶桑海事変。
 ヒスパニア戦役と並び、第二次ネウロイ大戦の切欠となった歴史の一大転換期。
 私は、大陸荒涼地帯北部、浦塩周辺で行われたこの戦いの当事者の一人である。
 映画「扶桑海の閃光」の影響もあってか、我々は華々しい勝利を手にした様に人々の間では語られているけれど、実際は多大な犠牲を払い、泥中でようやっと掴んだ勝利であった。いや、そう思っているのは、我々装甲歩兵だけなのかも知れないが。
 第一次大戦の頃の怪異とは、攻撃力、防御力、機動力全てが違う新型相手に、旧態依然とした装備、戦略ではどうする事も出来ず、連日の敗北、敗北、敗北。
 友軍が到着しようと、新型機材が到着しようと、出来る事は変わらなかった。
 我々に出来たのは遅滞戦闘くらいの物で、それもどこかに光明があった訳でもない。ただ浦塩が、扶桑が陥落するのを遅らせる事だけで。我々は、扶桑海を渡る超大型怪異を仕留めんと嵐の中戦う魔女挺身隊を、指を咥えて眺めているだけであったのだ。
 「諸君等のお陰で浦塩市民は怪我無く無事避難できたのだ」と人々は言う。
 「旧式装備ばかりの中で戦線を押し返す等、誰がやっても不可能だった」と人々は言う。
 けれど、それは結果論ではないか。
 我々は何の為にあの場に居たのか。
 我々の任務は扶桑本土陥落を遅らせる事では無い。
 扶桑国民が不安に怯える事無く、平穏に暮らす事の出来る様に。
 そんな当たり前の事が、我々の任務だったのだ。
 そんな当たり前の事が、我々には出来なかったのだ。
「あー……東中佐。歓談の場でそんな辛気臭い話をされても困るのだが」
 諌めるスコルツェニー中佐に、「坂本大尉とお会いできて、少し興奮してしまいまして」と、少しの言い訳。
 多分に、私は彼女に嫉妬しているのだと思う。
 十と少しで救国の英雄と呼ばれた少女と、二十を過ぎて尚、ただへらへら笑う事しか出来ぬ女。「努力が足りぬ」と言われても否定はしない。「生まれの違い」と言われても否定はしない。否定はしないが、そんな言葉で納得できるようなら、嫉妬などハナからするはずもなく。
 私は先程と同じ様な卑怯者の笑顔で別れの言葉を述べて、何事も無かった様にその場を離れる。
 何か言いたげな顔をしていた坂本大尉であったけれど、大空のサムライの目に掛らんとす人々への応対に追われ、直ぐにその凛々しい表情を張り付け直す。
 私の方も、旧知の将校等への応対に向かう様な素振りで、彼女をかわす。
 私は卑怯者である。
 ドレスコードからも解る通り、パーティとは言ってもそれ程大仰な物ではない。何ヶ月も戦争をするとなれば当然息抜きも必要になってくる。どこかの誰かが、ちょっとした暇潰しの為にこういった催しを開くというのは良くある事。
 前線の兵が聞けば怒り出しそうな話ではあるけれど、戦争とはこういう物だ。兵は惨めに地面を這い蹲る。お偉方は死体の数が書かれた書類を眺める。書類ばかり眺めて凝り固まった肩を解す為に、彼らは様々な暇つぶしを企てる。
 疲れた足の為に背を壁に預け、ぐるりと会場を見回してみる。
 やはりと言うか、何と言うか人集りの中心にはいつも魔女がいる。
 男性諸氏は魔女のご機嫌伺いに必死になって、御婦人方はさぞ気分が宜しくないだろうと思ってはいたが、彼女達も魔女相手に黄色い声を上げて中々に楽しそうだ。
 一番大きな人集りの中にはやはりヴィルケ中佐と坂本大尉がいる。
 スコルツェニー中佐は高官や財界人等と難しい顔で難しい話を語り、ビヨット中尉は若い女性達に囲まれて困った様な顔で応対している。
 そして一番に意外であったのはペガマガボウ軍曹だ。その精悍な顔立ちで御婦人方から黄色い声を受け取っていたかと思えば、いつの間にか周りを囲む人々は紳氏達へと変わっており、先程の凛々しい表情は何処へやら、まるで年頃の少女みたいな顔をして、男心を擽る甘い声で鳴いている。
 老婦人方は紳士然とした彼女の振る舞いに見惚れ、老紳士達はまるで孫娘の様な彼女の姿に目を細める。御婦人方はその端正な甘いマスクに声を上げ、紳士諸君は異国情緒漂わせるその妖艶な横顔に感嘆の息を漏らす。
 スコルツェニー中佐が彼女をこの場に連れて来たのは、どうやら彼女が前大戦の英雄の娘だからというだけでは無さそうである。これ程までに見事に人の心を掴むというのは見事な才と言う他無い。拐かす。と言った方が適当かもしれないけれど。
 そうやって壁の花になって辺りを眺めていると、当然私に気付いた誰かと目が合う。
 私は、また笑顔を作りなおして「バロネス東」を求める人々の中に戻って行く。
 金とは身体で稼ぐ物である。というのは、いつも、正しい。



「なんだ大尉、まだ起きていたのか」
 明かりが漏れる自室の扉を開けてみると、その手に可愛らしくカップを抱えたメビウス大尉がうつらうつらと船を漕いでいる所であった。部屋から漂う香りからして、中に入っているのは珈琲だろうか。
 中佐の声で大尉はようやっと我々に気付いたのか、昼間の様にベッドから飛び上がろうとした所で、中佐が「カップ」と声を掛けて制止する。
 大尉はカップをテーブルに置き行って、まず一呼吸。くるりと振り向いて「失礼しました……」と、敬礼を向ける。
「先に寝ていても構わんのだぞ」
「ですが、お二人より先に床に着くというのは……」
「唾液で汚れたその顔より、寝顔の方が大分可愛げがあるぞ」
 言葉に詰まるメビウス大尉を尻目に、中佐はテーブルに置かれたカップを持ち上げ口を付け、「甘過ぎだろう……」と渋い顔。そのまま部屋をぐるりと見渡し、今度は「ベッドについて何か聞いているか?」とメビウス大尉に問う。
「いえ、特には、何も……」と、大尉は首を振る。   
 部屋にあるベッドは二つ。人員は三。
「急いで搬入してくれと言ったんだがな」と中佐は渋い顔を浮かべたまま頭を掻く。
「私は床に寝ようと構いませんが」
 風雨を凌げる屋根が有り、温かい飯が三食出る。私にとっては幸福以上の何物でもない。ただ一つ欲を言えば、何か敷物があれば腰を痛めずに良いのだけれど。
「冬のロンドンでバロネス東を床に転がしたとなったら、流石に私の首が飛んでしまう。中佐はそちらを使ってくれ」
「ですが、お二人はどうなされます」
 言われた通り、ベッドを片一方使わせて頂くというのにやぶさかでないけれど、メビウス大尉も新参者が突然にベッドを奪い取るという事に簡単に納得も出来るはずもないだろうし、まさか部隊長を床に寝かすという訳にも行くまい。
 スコルツェニー中佐に次ぐとは言っても、私も大尉と変わらぬ多田野一戦闘員である。ならばより優秀な人物が使うべきであろう。
「私は大尉と一緒にこっちを使う」
 ベッドの縁に腰を下ろした中佐が、「なあ、大尉」とメビウス大尉を見上げて聞く。
 部屋に置かれたベッドはシングルで、それも極力無駄を排除した、普段使いとしても小さな物。どちらも女性とは言え、大人二人が寝るには相当狭い。共に平均的女性よりも大柄であるのだから尚更だろう。
「床で寝ろと言われれば床で……外で寝ろと言われれば外で寝ますが……」
「そこまでする程、私と同衾するのは嫌か」
「そ、そんな事は……ない、です、けれども……」
「一口に親睦を深めると言っても色々あるからな。童心に返って十代の子供の真似事をしてみるというのも面白いかもしれんぞ」
 中佐は諭すような口調でベッドをぽんぽんと叩いて、また大尉に着席を促し、大尉もまた困ったような顔で彼女の隣へと座る。
「昼に大尉を抱いてみて判ったことだが」
 知らぬ人が聞けば何か多大な勘違いをするであろう台詞であるが、中佐は特に気にかける様子もなく。
「大尉は体温が高いな」
「はあ……」
「この図体のせいで手足に血が回らんのか、私は冷え性でな。暖房器具が手放せん」
 「暖房器具……?」と、不思議そうな顔で大尉は中佐の顔を見る。
 「暖房器具」と、中佐は大尉を真面目な顔を見つめ返す。
 その顔を崩さぬまま、中佐は大尉の頬に手を伸ばす。大尉の小さな顔を大きな手で包み込み、顔を寄せて「どうだ?」と、中佐は、また、囁く。
 ビヨット中尉やペガマガボウ軍曹に及ばずとも、その体躯に見合い、中々に凛々しい顔をしたスコルツェニー中佐である。美女というのは何をやっても絵になる。という言葉は事実なのだなと再認識し、同時に己の不器量さを再認識。昼間の私の痴態が三流小説の一節だとすれば、見つめ合う二人の姿が恋愛映画の一場面か。
「冷たいです……」
「冷え性だからな」
 言うが早いか、中佐は大尉をベッドの上へと押し倒し、また彼女を抱き竦めてしまう。
 「暑いです……」と、大尉は呻き声を上げるけれど、やはり抵抗する事など出来ずに、ただ、されるがまま。
「そういう事ですまないが、東中佐は一人でそちらを使ってくれ。私と大尉は仲良く同衾させて貰う。まあ、これも部隊長の特権という奴だ」
「私もメビウス大尉ともっと親睦を深めたいと思っていたのですけれど、残念です」
「中佐に大尉を預けると、大尉の貞操が危ないだろう。それに、このベッドは二人用でな」
「一人用です……」
 ベッドに転がる二人を尻目に、白熱電球のスイッチを切って落とす。
 「それでは、おやすみ」「失礼します……」と、暗闇の中呟く中佐と大尉に「ええ、それでは」と、返し、私も布団の中へと潜り込む。
 二人は暑い、寒いと押し問答を幾度か繰り返していた様だったけれど、二人の声は数度のやり取りの間に段々と小さくなって、仕舞いには可愛らしい二つの寝息に変わって行った。
 冬のロンドンはよく冷える。スコルツェニー中佐でなくとも手足の先は冷たくなる。
 毛布を頭から被り直し、老猫の様に背中を丸めてみても、寒いものは寒い。
 今日は、酷く、疲れた。
 船から降りて、教練場をぐるりと見回って、パーティに行って高官達のご機嫌伺い。老体には中々堪える日程である。
 こうして、随分と身体が鈍っていると言う事を再確認する。それは呪力の衰えから来る物なのか、小笠原で漫然と過ごしていたからなのかは、私にはよくわからないけれど。ともかく、死に損ないの老兵とは言え、周りの足を引っ張る訳にはいかない。明日からは真面目に鍛え直す事も考えておかねばならないな。
 それと、オリヴィア・スコルツェニーというのは、聞き及んでいたよりも中々楽しげな人物で、彼女の下でなら、まあ、なんとかやっていけそうな気がする。と、そんな事を、まどろみの中で考えていた。



「どうしたね、中佐」
 小会議室。と書かれた扉の前で立ち竦む私。部屋の中には既に第150旅団所属の装甲歩兵が揃っている筈だ。
 スコルツェニー中佐が言うには、今日、これが、隊員全員の初顔合わせ。
 ぎゅう。と拳を握ってみると、自分が、少し震えているのが判った。部屋に入るのが怖いのか、それとも武者震いか。
 中佐が力を込めて引き戸を開けると、存外に大きい音を立て、戸は開いた。中の魔女達の視線は入り口に向かっているだろう。中佐は躊躇する素振りも見せず、女性らしさの欠片も無い足取りで中へ。そして、小心者の私は彼女の後ろに着いて行く。
 しん。と静まり返った部屋の中、中佐がブーツを踏み鳴らす音だけが厳かに響き渡る。そうして、二人で教壇に登り、魔女達の方へと向き直る。
 示し合わせた訳でもなく、皆が――一人を除いて――同時に立ち上がり、また示し合わせた訳でもなく、彼女等は素晴らしい敬礼を私達に向けるのである。士気十分。錬度十分。
 答礼を返し、彼女等に着席を促す中佐の姿もまた、美しく。
 拳の震えは一層に大きくなる。
 昨日渡された彼女等の履歴は穴が開く程眺めた。彼女等がどれ程の実力者であるかというのは十分に頭に叩き込んだつもりであった。
 しかし、浅はかな私の頭では想像にも限度があった。
『オリヴィア・スコルツェニーが率いる部隊は、精鋭中の精鋭部隊である』
 散々聞かされてきた、この言葉の意味を、私は今噛み締めている。
「さて、まずは諸君等にありがとうと言わせて貰いたい」
 スコルツェニー中佐は声に力を込めて語り始める。
 よく通る低い声。力のある彼女の言葉は、小さな部屋に響き渡り、我々の身体を直接震わせる。
 「祖国では英雄と称えられ、一騎当千の実力を持つ諸君等が私の様な若輩者の下で、再び戦場に立つ事を選んでくれた事を感謝したい」
 それを聞いて「オリヴィア・スコルツェニーともあろうお方が若輩者となれば、世界に名将等存在しないでしょうね」と、カーキ色の軍服に身を包んだ女性がころころ笑う。
 中佐は彼女の方をちらりと向いて、自嘲気味な笑みを浮かべるけれど、すぐにまた凛々しい顔を作り直して、言葉を続ける。
「この部隊は私の我侭で作られた部隊だ。誰かに必要とされた訳でも、誰かの為に作られた訳でもない。二十を過ぎた死に損ないが、ただ、戦場で死にたいが為に作った部隊だ」
 この部隊から召集の打診があった時には、流石に耳を疑った。そして、それと同時に小躍りをしてしまいたい気分であった事を思い出す。
 私は志願して軍に行った。
 頭が切れる訳でも無く、運動が出来る訳でもない。路傍の石程度にしか役立たない私に出来る事と言えば、軍に入って、魔女になる位しかなかった。何の取り得もない私が、人の為に出来る事と言えばそれくらいしか無かった。
 二十を過ぎてから毎夜の様に思う。軍を辞めて、東の家に戻ってしまったら、私はどうなるのだろう。と。
 世の為、人の為と言って、軍に入ったのはいいが、大きな戦争を迎えることも無く私は二十になった。路傍の石に戻る事を恐れた私は、上にも、父にも無理を言って、そのまま軍に残った。けれど、そうして迎えた扶桑海事変でも、この大戦でも、私は何かを成す事も出来ずにいるのは笑い話である。
『年齢、経歴問わず、各軍、各部隊において戦略、戦術上有用ではなく、また死亡しても問題ない者を求ム』
 私は死に損ないである。
 軍に入ったのが間違いだとは思わない。選択肢は一つしか無かったのだから。けれど、結局、私の人生は袋小路だったのだ。
 才覚等何も持ち合わせていない、無知無能の凡人が役に立つ方法と言えば、国家の為に死ぬ事くらい。しかし、二十を大分過ぎた女をわざわざ前線に送り出してくれる部隊など無く。
 人生を無為に費やし幾年月。人の為に死のう、死のうと思い続けて幾年月。ようやっと死ねるのだ。
「ようこそ諸君、カールスラント皇帝武装親衛隊義勇第150旅団へ。隊長のオリヴィア・スコルツェニーだ」
 それも、あのオリヴィア・スコルツェニーの下で!
「と、まあ堅苦しい話はこれで終わりにしてだ。早速、この部隊の目的、我々の任務を簡単に説明しよう」
 とは言う物の、中佐の低く響く声は重苦しい。隣に立つ私でさえ、一言一言にひしひしと重さを感じるのだ。彼女の言葉を真正面から受け止める隊員達に圧し掛かる重圧は計り知れない。
 後ろの黒板に掛けられた、破れかけの世界地図。
 中佐はその大きな手をヨーロッパの端へと叩きつけ「我々の任務はパリ上空のネウロイの巣の破壊。つまりはガリア奪還。そしてマジノ要塞の攻略である」と特大の爆弾を我々に投げ付けて来た。
「ガリア奪還っ?!」
「どうしたね、ビヨット中尉。何をそんなに驚く必要がある」
 彼女の言葉に、皆が皆、驚愕の声を上げる。中佐は、その中でも一際素っ頓狂な声を出した中尉を笑うけれど、大声を上げる程度なら可愛いものだ。今この場。誰かが椅子から転げ落ちて頭部を強か打ち付けたとしても、その誰かの心配をするより先に、自分の耳を、次に中佐の頭の中身の心配を始めるだろう。
「不可能です。そんな事」
「不可能、か」
「不可能です。たった十数人でヨーロッパを救える様なら、この戦争はとっくに終わっています」
 急襲されたとは言え、オストマルクは民間人を国外脱出させるのが手一杯。カールスラントやガリアは必死の抵抗を試みたが力及ばず、焦土と化した。そして、ここブリタニア。第501統合戦闘航空団や第11統合戦闘飛行隊の奮戦により、どうにか主権を保ってはいるものの、いつ陥落しても可笑しくない状況。人類は既に崖の縁まで追い込まれている。
 こんな状況を我々のみでひっくり返すなんて、誰が想像しても不可能である。三流作家でももう少しマシな脚本を書くだろう。
「では聞くが、ヨーロッパ開放の為にはどれくらいの戦力が必要かね」
「それこそ一国を焼け野原にする程の戦力が必要でしょう」
「なるほど。それはごもっともだ」
 仮に。そう仮にだ。彼女の部下全員が真に一騎当千の実力を有しているとしよう。第150旅団所属の装甲歩兵は十二名。つまりは兵力一万二千。高々一個師団程度の戦力である。一方彼奴等は、軍事大国カールスラントを滅ぼし、広大なるオラーシャ帝国の西半分を手中に収めた大軍団。真正面から戦争をすれば、軽く捻りつぶされるのは目に見えている。
「では次は今回の作戦の概要だ。リベリオン、カールスラント、ブリタニア連邦、ガリア。そして扶桑遣欧艦隊やその他ヨーロッパ、アジアからもそれぞれ数個師団。全世界から計五十以上の師団がこの作戦に参加する」
「は?」
「人類連合軍はヨーロッパを更地にするつもりらしい。まあ、怪異共に乗っ取られたままよりは、焼け野原の方が数百倍はマシだろうからな」
 呆気に取られる我々を無視して、彼女は淡々と言葉を繋げて行く。
「パリを解放するに当たって、当然ヨーロッパへと上陸する必要がある。パ・ド・カレー方面の海峡は狭いが、当然ブリタニアを狙う敵戦力もそこに集中している。そこからの上陸は厳しい。そこで我々は裏を掻き、戦力が手薄なドーバー海峡の南側を渡り、ガリア西部、ノルマンディー方面からヨーロッパへと上陸するという寸法だ。海岸線に橋頭堡を構築後、作戦名は――。






大君主作戦