「アドルフィーネ!アドルフィーネ!」
 気怠さの増す夏の午後の事。とあるカールスラント軍の駐屯地の中に一人の女性の透き通る声が響いた。
「はいはい、なんでしょう」
 呼ばれて出て来たのは一人の少女。年の頃は15、6と言った所だろうか。
 「お仕事の時間よ」と、女性は少女に手紙を渡す。
 「これを届けて頂戴ね」と、女性は優しげな笑みで「あと、はいは一回よ、軍曹さん」と少女の頭に全力の手刀を叩き込むのであった。


 アドルフィーネは装甲歩兵でも航空歩兵でもない、一介の伝令兵である。
 魔女の素質ありと徴兵されたのはいいが、彼女には「魔女の素質がある」だけだった。
 体力はそこらの少女と殆ど変わりなかったし、魔力の方も大した事はなく、拳銃弾一発防げるかどうかといったシールドを貼るのが精一杯といった体たらく。当然訓練学校の成績は下から一番で、お情けで卒業させて貰った様なものだった。
 卒業後も引き取ってくれる部隊等なく、今の部隊が「後方任務でいいのなら」と手を挙げてくれなかったら、今頃葉書売りのアルバイト生活に逆戻りしていただろう。
 隊長が手を挙げたのにも色々な思惑があったのだろう。
 魔力を持たない者でも、魔女と共に生活する事で魔力に目覚める事もある。いつかその素質が開花する事を狙って、アドルフィーネを部隊に引き入れたのかもしれない。
 魔力を持った女性が生まれるのは数百、数千に一人だという。魔女になれるのが、と言い換えてもいい。
 超人的な力を持って怪異を葬り去る。
 世界中の女性が憧れ、世界中の男性がその美貌に酔う。
 戦争という男の世界で、最前線で戦う兵士の花形。
 本来ならば、素質があるという事でも誇りに思っていいのかもしれない。
 けれど、アドルフィーネはそれが嫌だった。
 周りの女の子はみんな綺麗で可愛くて、それでいて強くて。でも自分は違う。魔力なんて殆どないから、可愛くない、強くもない。だからみんなと一緒に訓練を受けるのが苦痛だった。
 友達が街に出かけると言うから、連れて行って貰った事がある。彼女達が街を歩くと、人々は彼女等を見て歓声を上げるのだ。彼女達が歩くだけで、そこがパーティ会場の様に華やいで見えた。そんな彼女等の後ろを、一歩離れてアドルフィーネはとぼとぼと付いて行った。引き立て役になるのは目に見えていたのに、と自分の浅はかさを嘆いた。
 「ああ、昔の事を思い出すなんて、ファックだね」と、アドルフィーネは小さく愚痴を溢し、小銃を担いで、お気に入りの自転車に跨るのであった。
 アドルフィーネは自転車が好きだ。
 なにより歩くのより速いのがいい。軍に入る前は絵に描いたような貧乏学生で、とても手が出る代物ではなかった。自動車が欲しいなぁと思った事もあるけれど金額を聞いて目玉が飛び出たので、彼女の中では無かった事になった。
 もし退役したら、格好良い自転車を買おうと毎日空想していた。
 いや、この自転車を軍から貰ってしまうのもいいかもしれない。
 塗装は剥げだらけだし、錆も浮いている。サドルは穴が開きかけているし、ホイールもハンドルも曲がっているけれど、苦楽を共にしてきた大切な仕事道具なのだ。
 幸い貯金はそれなりにある。ちょっぴり奮発して、コイツを格好良くしてやろう。そして余ったお金で画材を買って――
「ぬわーーーー!」
 突然の奇声にアドルフィーネは空を見上げた。頭上には黒点、そしてそれは数秒後には人間大の大きさになって、バキバキと林道脇の緑樹の枝を粉砕しながら墜落した。
 自転車を漕ぐ足を止め、その何かが落ちた方を見る。その何かは「生きてた!生きてた!でも超痛ぇぞクソッ!」と悪態を吐きながら、折れた箒を乱暴に地面に叩きつけていた。
 そしてアドルフィーネが見つめる視線に気付いたのか、それはくるりと振り返り「お、友軍ゥー!」と右手と笑顔を浮かべる。アドルフィーネの方も「うぇい」と小さく手を挙げて彼女に返した。
 どうやら落下してきたのは魔女の様であるらしかった。あの高度から落下してきても、ほぼ無傷というのは魔力によるシールドのおかげか。戦闘服は木の枝で裂けてしまって、殆ど服の役目を果たしていないけれど、彼女自身の体に特に異常は見当たらない。
 穴だらけの戦闘服とズボンを彼女は脱ぎ捨てて――どう贔屓目に見ても痴女の類にしか見えないインナー一枚の姿になって。――照れ隠しなのかぼさぼさの長髪を掻きながら、アドルフィーネに歩み寄り、その屈託のない笑顔でこう言うのだ。
「予備のズボンある?」
「そんな物はない」
 彼女は「どうにか味方の陣地まで届けて欲しい」と言って、自転車の荷台に跨る。
 仕方がないなと二つ返事で了承し、アドルフィーネは重くなったペダルを再び漕ぎ出した。


 がっこんがっこんと満足に舗装されていない街道を二人の少女を乗せた自転車が走る。荷台に座る少女の長髪がぱたぱたと風に靡いていて、まるで一枚の絵葉書の様な長閑な情景。
 しかし、自分等がどう見えているかなど彼女等には関係なく、荷台に乗った少女は「ねえ、この自転車ボロ過ぎない?新しいの買えば?」と、しかめ面で揺れる自転車に不満を上げるのである。
 「おい、私のブラウン氏を馬鹿にするなら降りて貰おうか」
 新しいのを買うわけには行かないのだ。何と言っても苦楽を共にした大切な仕事道具なのだ。シュリーフェン参謀長に「己の命か自転車かを選べ」と、言われれば、速攻で自転車を破壊し泣いてジャパニーズ土下座する程度の思い出が詰まった大切な仕事道具なのだ。
「なによブラウン氏って」
「自転車の名前」
「錆で茶色いもんねぇ」
「関係ねぇよ!」
 アドルフィーネ言葉に荷台の少女はケラケラ笑う。
 余程おかしかったのかたっぷり三分程笑った後に「私はヘルマ。あんたは?」と、彼女は問いかけた。
「アドルフィーネ」
「あんたコメディアンなの?」
「違ぇよ!魔女だよ!伝令兵だよ!」
 何が琴線に触れるのかは判らないが、アドルフィーネの言葉を聞いてヘルマはまたケラケラと笑う。
 そしてまた一頻り笑った後に「魔女なのに伝令兵なの?」と、彼女は至極当然の疑問をぶつける。
「……適材適所。私には装甲歩兵や航空歩兵の才能がなかったからね」
「へー、そうなんだ」
「まあ航空歩兵様には私の苦悩なんてわからないでしょうね」
 先に述べた通り、魔女になれるのは一握りの女性のみ。そして、航空歩兵になる為の素質――一般的に飛行適正と呼ばれる――を持つのは、そのまた一握りの少女のみであるのだ。
 人は空を飛べない。羽ばたいて空を舞うなんて事は出来ないし、高くジャンプして滑空するなんて事も出来ない。
 だが、魔女は、「航空歩兵」は違う。古に伝わる様に、彼女等は魔法の箒に跨り空を飛ぶ。そしてある者は武器を取り、ある者は魔法を使ってあの怪異を屠るのだ。
 ある詩人は言った。まるで空でワルツを踊っている様だ。と。
 ある文学者は言った。まるで空を裂く流星の如く。と
 多分、そこには我々には見えない景色がある。地べたを這いずり回り、泥水を啜って戦う惨めな歩兵では知る事の出来ない世界がある。
 世界中の女性の憧れが魔女。
 そして全ての魔女の憧れ。
 それが航空歩兵。
 「思ってる程素敵な場所ではないけどねぇ」と、ヘルマはアドルフィーネの背中にもたれ掛かり、溜息を吐いた。
 心中「イライラする」と、アドルフィーネは吐き捨てる。ヘルマの人の苦を苦とも思わない態度もそうだが、そんな事は瑣末な問題だろう。
 毎日毎日、悪路を自転車で行き来する辛さは航空歩兵にはわかるまい。サスペンションのない、壊れかけの自転車はその振動を直接伝え、10代の少女の大切な臀部を徹底的に痛めつけているのだ。その苦痛をどうやって理解できようか。
 そして何より。何よりだ。背中に当たる巨大な二つの脂肪の塊が最高にイライラする。
「おっぱいもげて死ね!」
 怒りを力に変え、アドルフィーネは自転車を漕ぐ足に一層力を入れるのであった。が。
「重ぇ…」
 力を入れて速度を上げたのも一瞬の事。
 その数分後にはアドルフィーネの下半身は悲鳴を上げ始めていた。性的な意味ではない。膝小僧等に至っては、より良い雇用条件を求めてFA宣言する勢いである。
 先程からずっと考えていた事なのだが、このブラウン氏、使い古しと言えど荷台に平均的な十代の少女一人とプラスαで根を上げるような柔な自転車ではない。
 「貴女痩せなさいよ」と、アドルフィーネ呈する苦言に「いや太ってないから、太ってないから」と、ヘルマが目を泳がせる
「いやいや、男の人乗せて漕いだ事あるけどこんなに重くなかった」
「いやいやいや、だってこれMG08だし!超重いし!」
 ヘルマが担ぐ機銃はMG08。技術大国カールスラントが誇る傑作重機関銃。初期型の総重量は62kgで、成人男性並みの重量にも及び、単独で振り回す事が出来るのは魔女くらいと言われる物ではあるのだが。
「それMG08/15じゃん!超軽いじゃん!」
 取り回しを良くするために、改良に改良を重ねたMG08はなんと40kg以上のダイエットに成功する。
 十代の女性一人に20kg弱の機銃一挺。ややもすると成人男性一人分より軽い。
「もうさ、無駄な口論はいいからさ、私に体重教えてさ、終わりでいいんじゃない?」
「うー…」
 何か言いた気ではあるのだが、ヘルマは顔を真っ赤にしながら、ごにょごにょと言葉を濁す。体重が平均値程度なら、胸を張って答えられる筈なのだ。流石にもう言い訳は通用しない。 
 どうやら彼女も観念した様で、仕方がないと、彼女はアドルフィーネの耳元に口を寄せ、ぼそぼそと囁いた。
 数瞬の沈黙。
 そして。
「お前もMG08の様に痩せるべき」
「くそぉぉぅぅちくしょぅぅう……」
「うわ、泣くな馬鹿!」
 巨乳には巨乳の悩みがあり、貧乳には貧乳の悩みがあるのだ。おっぱいをネタにしてはいけない(戒め)。


「あれ、友軍よね」
 未だゴールの見えない道の向こう、地平の手前に手を振る一人の少女が見えた。
 そう、「一人」の友軍だ。
「迷子か」
「迷子だな」
 しかし、アドルフィーネは速度を上げない。膝小僧との雇用交渉は未だ継続中である。迷子の一人の為に貴重な戦力を割く訳には行かないのだ。
 たっぷり、ゆっくり、優雅に、クソみたいな色をしたクソみたいな自転車を漕いで、二人は迷子の元へ向かう。
「ゆうぐーん!ゆうぐーん!」
 小柄なアドルフィーネよりも更に小さい、眼鏡をかけた幼い少女が、必死な顔で大きく手を振って彼女等に呼びかける。
 そして二人は「はいはーい友軍ですよー、応援ありがとー」と、優雅な笑顔で小さく手を振り、にこやかに彼女の横を通過していった。
「待って!待ってぇぇええっ!」


「で、貴女名前は?」
 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった少女の顔を拭きながら、アドルフィーネが問い掛ける。
 自転車からは降りて歩く事にした。流石にこの自転車で三人乗りと言うのは厳しいものがある。
「ハインリーケです……」
「そうハインリーケね。私はアドルフィーネ」
「あたしがヘルマ」
 「アドルフィーネさんに、ヘルマさん」と、ハインリーケは胸から取り出したメモ帳に二人の名前を書き留める。小さなメモ帳はこれまた小さな可愛らしい字で、びっしりと埋め尽くされていた。
「それで、なんでまた迷子に?」
 最前線と比べるとここは平和そのもので、時たま迷子になった怪異共が湧いてくる程度の場所。そんな中で部隊を見失う程の作戦行動や戦闘がある訳も無く。
 彼女の問いに、ハインリーケはまた眼に涙を溜めて「綺麗なお花を探して川辺を散策してたら……その、あの」と、答えた。
 これは不味い事になった。と、アドルフィーネは眉を寄せた。幼い頃から糞餓鬼だったアドルフィーネにとって、この手のゆるふわ系少女はからかいの対象だったのだ。面倒を見切れる自身は全く無い。
 そして、お互いにそれは同じだろう。さあ、どうする。と、ヘルマに眼を向けてみる。しかし視線に気付いたヘルマは、やれやれと言った表情でアドルフィーネの肩に手を置いて「あたしは、超が付く程の、お嬢様だ」と、囁いた。
「嘘吐けこの」
『何を仰いますの?私が嘘を吐くわけが無いでしょう?』
 アドルフィーネの言葉に、流暢なガリア語でヘルマが返す。
 そして『ガリア系の方なんですか?』と、ハインリーケもこれまた流暢なガリア語で問い掛ける。
『いえ、生まれはバイエルンですの。ガリア語など、淑女の嗜みとして当然ですわ』
『まあ、バイエルン!私もそうなんです!』
「何言ってるか解んねぇよ!」
『じゃあ英語で』
『英語ですか』
「へいへーい!あい きゃんと すぴーく がりあん あんど いんぐりっしゅ!」


「わぁ、綺麗なお花畑!」
 林道を抜けた彼女達を出迎えたのは一面の花畑であった。
 地平の向こうまで広がる広大な平野に、赤、白、黄、様々な花々が広がる御伽噺然とした光景にハインリーケが感嘆の声を上げる。
 そこに「多分、ここ、牧場じゃない?」と、ヘルマが口を挟む。
 もう一度辺りを見渡せば、道路の脇に小さな家屋と、納屋。道路を挟んで反対側には煉瓦造りの小さなサイロがあった。
「多分、疎開する前に花の種をばら撒いて行ったのね。帰って来たら花畑になってる様にって」
 花盛りの夏。
 花畑を望むのは三人の軍人。
 アドルフィーネが拳を握り締める。ヘルマが唇を噛む。そして、ハインリーケはにこりと笑って「このお花の名前、なんですか?」と、言った。
 「ふぅ」と、一息吐いてから「それはアベリア」と、アドルフィーネが答える。
「アベリア、と」
 ハインリーケがメモを胸から取り出して、可愛らしい字で名前を綴り、何か崩壊した太陽の様なおどろおどろしい絵を添えた。
 多分、アベリアの絵を描いているのだろうが、どうにも絵心が足りないらしい。周りに逃げ惑う人々を付け加えれば、終末の預言書そのものである。
 見かねたアドルフィーネが「貸してみなさい」と、メモ帳を後ろから引っこ抜き、ペンを走らせる事数十秒。「はいできた」と、返されたメモ帳には、それは見事なアベリアが咲いていた。
 「お上手です!」と、ハインリーケが破顔する。
「結構上手じゃない」
「あー、画家になろうと思った事があってね。すぐに挫折したけれど」
 少し、嘘を吐いた。
「このお花は?」
「それはカモミール、ハーブティーにも使われるわね」
「これがあのカモミール?」
「そう、それでこれがゲラニウム。シクラメンの蕾。マツムシソウ。百合。で、これが――
「これが?」
――大根……」
「大根?」
 何故、可憐な草花の中に野菜が紛れ込んでいるのか。確かに大根の花も小さくて可愛らしいけれど、わざわざ鑑賞用に育てる物好きなど聞いたことも無い。
 もし、大根が旬の時期に帰って来れたのなら、サラダパーティーでも開く予定だったのか。
「ちょっと引っこ抜いてみよう」
 葉を握り力を込める。然したる抵抗も無くするすると抜けるそれの根元には、丸々と太った白い足。やはり、これは、大根。
「大根ね」
「大根ですね」
「葉っぱ、美味しいよね」
 アドルフィーネの呟きに「え?」と、二人が声を上げる。それを聞いてアドルフィーネも「え?」と、鸚鵡返し。
 「食べるの?葉っぱを?」と、ヘルマが聞き返す。
「だってスープに入れたりするでしょう?」
「ハインリーケ。あんた、食べた事ある?」
「ないです」
「マジで?」
 カルチャーショックである。
 お嬢様は大根の葉等食べないのだ。
「じゃ……じゃあ、皮は?」
「食べない」
「食べた事ないですね」
 確かに、軍に入る前まで、彼女は貧乏学生であった。けれど、大根の葉や皮等一般的な食材だと思っていたのだ。
 訓練学校に入ってからの事を思い返してみる。
 大根や蕪の酢漬けは美味しかった。こんなに美味しい物が毎日食べれるなんて、軍に入って良かったと思ったものだ。 
 その日のスープに大根や蕪の葉が入っていた。彼女は美味しい美味しいと、おかわりまでしていたのだ。
 でも、よくよく考えてみれば、眉をしかめて具を除けていた同僚が沢山いた様な気がする。美味しそうに平らげていたのは、下流階級出身の娘が多かった様な気がする。
「食べる物に困ったら、うんこでも食べそうね」と、ヘルマはケラケラ笑う。
「そんな趣味ないわよ馬鹿」
 アドルフィーネの返答に、再び「え?」と、二人が声を上げた。それを聞いてアドルフィーネも、再び「え?」と鸚鵡返し。
「趣味って?そういう趣味の人がいるの?」
「え、まあ、見た事ないけど、そういうので興奮する男の人がいるとは本で見た事ある」
「本?!そういう本って何?!」
「まあ……男の人が見るような……あー、その……えっちな本?」
「えっちな本?!なにそれ?!」
「……女の人が裸で、男の人に弄ばれてる様な?」
「え、なにそれは(ドン引き)」
 どうやらお嬢様は下級市民の風俗には疎いらしい。
「お、男の人って怖いです…」
 ハインリーケが、目に涙を溜めて呟く。
 ただでさえ男に免疫の無さそうな雰囲気の彼女である。これ以上男性不信を増長させると、軍隊生活に支障が出そうだ。
 アドルフィーネ自身も、これ以上男性向けポルノ雑誌の話をするのは芳しくないと「ま、まあこの話は置いといて、花でも眺めましょう!ほら、あのサイロの周りの向日葵とか!」と、白々しく話題変えてみる。
 アドルフィーネが指差す先には大輪の向日葵の群れ。
 真夏の陽光に映えるのは、向日葵の瑞々しい黄色と、くすんだ赤色のサイロ。そして陽光を反射する、滑らかな金属質の巨大な六本脚、おまけに大きな鋏が二本もサイロの下から生えるのだ。なんとも牧歌的である
 「え?」と、三人が間抜けな声を同時に上げる。
 がしゃこんがしゃこんと不細工な機械音を立て、サイロが彼女等の方に近づいてくる。屋根の八方に備え付けられた窓ガラスは、老朽化のために一歩毎にパラパラと剥がれ落ちて行き――
「大型怪異かよクソったれ!」
 ――中から現れた機銃砲座が、挨拶代わりに8mm弾をばら撒いてくる。
 言うが早いか、三人は自転車を放り投げ、道を挟んだ農家の納屋へと全力疾走。歪んだ扉を体当たりで吹き飛ばし、藁山の中へと突っ込んで行った。
 「やべぇよ…やべぇよ…」と、アドルフィーネがヘルマの腰にしがみ付く。
「自分の身は自分で守りなさいよ!」
「ムリムリムリムリかたつむり!勘弁してください!私シールド貼れないから!」
 先にも述べた通り、アドルフィーネのシールドは拳銃弾一発防げるかどうかと言ったところ。機銃掃射の的になれば即座に挽肉だろう。この間にも断続的に放たれる銃弾が納屋の壁に風穴を開けているのだ、「魔女」の庇護の元から離れるのは自殺行為に等しい。
 「どうすんの、あれ」とのヘルマの問いに、「逃げましょう」とハインリーケが答える。「賛成」とアドルフィーネが続く。
 ヘルマが壁の弾痕の隙間から外を伺う。道路を挟んだ反対側の牧場には、やはり未だ怪異が居座っている。呼吸をする様に断続的に、しかし規則正しく瘴気を吐くそれ。サイロの入り口から覗くのは点滅する赤い外殻。眼の様にも感じられるそれは、アドルフィーネ達が納屋から飛び出て来るのを待っているようにも見える。
 「あたしとハインリーケは良いとして、あんたはどうやって?」と、再びの問い。
 サイロから生える長い脚は歩幅が広い。その鈍重な見た目とは裏腹に移動速度は遅くはないと思われる。けれど、魔力による身体能力強化とシールドがあれば、銃弾を交わしながら、数km先の見方陣地まで走り切り、目の前の怪異から逃げ切る事は可能かもしれない。
 しかし、そこらの少女と変わらぬ身体の、碌にシールドも使えないアドルフィーネはどうすればいい?
 ヘルマかハインリーケが担いで逃げる?
 それも良いかも知れない。身体能力が向上してるとは言え、人一人抱きかかえて数kmを突っ走れるなら。
 もし仮に追い付かれたら?
 一人の少女を担いだまま応戦する?
 応戦するとしたら武器はどうする?
 20kgの機銃を担いで逃走するなんて本末転倒であるし、小銃2本で奴に立ち向かえる訳も無く。
 彼奴が発する瘴気の霧。有毒な瘴気の中では、人は長くは生きられない。魔女ならばシールドで防ぐ事も可能ではあるが、一般人にはどうしようもない。
 そんな中で、怪異と戦う?
 ヘルマとハインリーケが足止めをしてる間に、アドルフィーネが助けを呼びに行く?
 機銃1本、小銃2本。弾が切れれば多少力が強いだけの2人の少女で碌な足止めが出来るとは思えない。走り去るアドルフィーネを狙われては、それで仕舞いだ。
 自転車は道の真ん中。取りに行くのも分の悪い賭けになる。
 誰も言葉を発さない。
 逃げるとなれば、アドルフィーネを見捨てる事になるだろう。
「私が囮になろう」
 アドルフィーネが口を開く。
 どうせ死ぬのならば、誰かの役に立った方が万倍はマシという物。落ちこぼれ一人の犠牲で魔女が二人助かるならばと、彼女は銃を取る。
「航空魔女さん、私のお墓にリヒトホーフェン大尉のブロマイドでも供えてくれないかしら。昔からのファンなのよ」
「だが断る」
 ヘルマの即断即答。
 折角人が格好を付けたのにそれはないだろう。確かにリヒトホーフェン大尉のブロマイドはプレミアが付いているけれど、そこは嘘でも「はい」と言うべき所だろう。どこまで意地が悪いんだクソボケファック。と、アドルフィーネはヘルマの方へと振り返る。
「私が何時退却すると言ったかね?」
 そこには意地の悪い笑みを浮かべた、「魔女」がいた。
 「奴を叩き潰せば、万事解決でしょう」と、ヘルマはくつくつ笑う。
 ハインリーケの方へと眼を向ける。今にも泣き出しそうな顔で「頑張ります」と、銃を掲げる彼女。
 そんな二人を見、「馬鹿みたい」と、アドルフィーネは溜息を吐いた。
「道連れになっても、責任取んないかんね!」


 機銃弾が納屋の壁を吹き飛ばす。
 しかし、その弾は怪異が放ったものではない。MG08を抱えたハインリーケが、必死の形相で引き金を引く。
 ハインリーケの仕事は時間稼ぎである。
 乱雑に放たれたMG08の7.92mm弾は、怪異の機銃砲座を捉えること適わずに、ただ煉瓦の壁と、露出する金属質の怪異の外殻を抉るだけである。
 いくら銃弾を叩き込もうと、怪異の核は見えてこない。大部分が吹き飛ばされた煉瓦の壁は、支えを失いガラガラと音を立てて崩れさって行く。
 この間にも怪異の放つ8mm弾はハインリーケを狙っているのだ。八方に据えられた機銃砲座の内三門が、彼女の弾幕の三倍以上の密度を持って、納屋に向かって放たれている。
 陸戦魔女のシールドは、航空魔女と比べれば幾分か硬い、しかし、それでも機銃掃射から身を守るのが精一杯で、怪異が歩を進める度に納屋が木屑へと変わっていく。
 そろそろ弾が切れそうだ。加えて怪異の弾はほぼ無尽蔵。
 原隊でちょっと機関銃教練を受けただけの自分には、荷が重過ぎる仕事だったんだなぁと、引き金を引いてもうんともすんとも言わない、MG08を眺めながら思うのである。
「よーし、上出来だハインリーケ」
 飛来する弾丸。
 ひしゃげる怪異の機銃。
 何事か。と、怪異が振り向く。
 納屋から数十m先の農家の二階。
 ヘルマがGewehr98歩兵銃の引き金を引く。
 狙い澄ました一撃は、一直線に怪異へ向かい。
 命中。
 爆散。
「まず一つ」
 ハインリーケの仕事の二つ目は、サイロの壁を出来るだけ吹き飛ばす事。
 彼女が弾幕をばら撒いている間、ヘルマは納屋の裏を回り、見つからぬ様に農家の二階の狙撃地点へと移動。
 そして、ヘルマの仕事の一つは機銃の破壊。
 サイロの小さな窓を狙うなんて、狙撃兵でも無いヘルマには少々骨の折れる仕事ではあったけれど、ハインリーケが装甲を吹き飛ばしてくれたお陰で幾分かは楽になった。
 ボルトハンドルを引き排莢。次弾装填。発射。目標やや下に着弾。修正。
 怪異が農家の方へと歩を進める。
 弾切れの機銃を担いだ小娘などいつでも殺せると判断したのか、己を狙う者を真っ先に始末する様になっているのか、それともただの気まぐれなのか。
 怪異が砲口をヘルマへと向ける。
 ヘルマがGew98に弾を込め直す。
 怪異が8mm弾の群れを放つ。
 ヘルマが一発の7.92mm弾を放つ。
 怪異の弾幕は農家の壁を抉り、床を抉り、窓ガラスを吹き飛ばす。
 ヘルマの一撃は機銃砲座を的確に捉える。
 怪異が一歩進む度に、農家を木屑へと変えていく。
 怪異が一歩進む度に、機銃砲座がひしゃげて行く。

 怪異が止まる。
 クソったれ。と、ヘルマが小銃を外へと投げ捨てる。
 眼前に迫るのは滑らかな金属質の外殻。
 もう弾はない。
 己がすべき事は全てやった。
 怪異が全てを叩き潰さんと、またその巨大な鋏を振りかぶる。
 ヘルマの仕事はこれで終わりである。
 できる限りの事はやったのだ。これで駄目なら、仕方が無いな。と、ヘルマが天を仰ぐ。
「さあ後はあんたの仕事だけよ、アドルフィーネ」
「りょーかい」
 ヘルマの仕事の二つ目は怪異を農家に引き付ける事。
 奴はハーミットクラブと呼ばれるタイプの怪異で、核は外殻の頂点付近、八方に配置された機銃砲座の中心付近にある。と、ハインリーケのメモにあった。
 ハインリーケが外殻と化したサイロの壁を破壊。
 その間にヘルマが狙撃地点へと移動。
 移動を確認したら、ハインリーケが農家の方へと誘導。
 ヘルマが機銃砲座と、サイロの「屋根」を吹き飛ばせば準備完了。
 少々手違いはあったものの、特に問題も無く二人の任務は完遂された。
 後は、アドルフィーネが核を貫くだけである。 
 瘴気を吸い込んだからと言って即座に死ぬ訳ではない。
 ヘルマとハインリーケが敵の機銃掃射に晒されるリスクを背負ったのだ、シールドを使えないと言っても、アドルフィーネにも多少の苦労は我慢して貰わないと困るのだ。
 農家の煙突の上。
 眼下には怪異。機銃砲座の中心には紅く輝く核がある。
 銃剣を括りつけたGew98を握り締め、核を貫かんとアドルフィーネが跳躍する。
 そして真上の彼女に狙いを定める怪異の砲口。
「え、うそ」
 ヘルマは、己が破壊できる機銃砲座は全て潰した。
 しかし、怪異の機銃砲座は八方に配置されているのだ。どうしても死角というものが存在する。
 一方向から破壊できるのは、四つか五つが限度。だから、シールドの貼れないアドルフィーネの為に、彼女を狙えるであろう位置にある機銃を狙ったのだけれども、よもや、機銃が上にも照準を付けられるとは予想だにしていなかった。
 残った機銃は三。
 小女一人を挽肉にするには十分すぎる数であろう。


「あー、やべ、これ死んだ」


 ――でも、
 例え私が挽肉になっても。
 例え私が蜂の巣になっても。
 核を貫いてしまえば勝ちだから。
 予定は少し狂ってしまったけれど。
 「私が囮になろう」と、いう言葉は、多分、間違ってはいなかったんだ。
 だから、例え、何があろうと、絶対に――


「当ぁぁああたれぇぇぇぇええええッ!」
 ハインリーケの咆哮と共に二つの奇怪な塊が回転しながら飛んでくる。
 ハインリーケが全力で投擲した自転車とMG08/15がそれぞれ機銃砲座に直撃。
 ぐしゃり。と不快な音を立て、機銃と奇怪な塊が捻じ曲がる。
 残った機銃は一。
 気休め程度のアドルフィーネのシールドを機銃弾が貫いてくる。
 銃弾が頬を掠る。
 脇腹を抉る。
 右脚が燃えるように痛い。
 瘴気がこんなにも辛い物だなんて、思いも寄らなかった。
 呼吸をする度に目が霞んで行く。
 喉が焼ける様に痛い。
 それでも。
 銃剣を握る手は離さない。

 例え。


 何があろうと。




 絶対に。










 ――離さない。





















「アドルフィーネ!アドルフィーネ!」
 涼し気な風が通る秋の日の午後。とあるカールスラント軍の駐屯地の中に一人の女性の透き通る声が響いた。
「はぁい、なんでしょう」
 呼ばれて出て来たのは一人の少女。年の頃は15、6と言った所だろうか。
 「良いニュース教えてあげる」と、女性は少女に手紙を渡す。
 「貴女に二級鉄十字章の授与が決まったわ」と、女性は優しげな笑みで「あと、はいは伸ばさず言いましょう、軍曹さん」と、言い掛けた所で「この間の戦闘で喉をやられて声出ないんですよ」との少女の言葉を思い出し、行き場をなくした振り上げた腕を、ぽんとアドルフィーネの頭に置いた。
 「マジですか」と、流石のアドルフィーネも目を丸くする。勲章なんて自動車よりも縁が無いと思っていた物なのだ。まあ、この間の負傷で戦傷章を頂いたのだけれども。
「マジもマジ、大マジよ」
「でもあんまり大した事してないですよ?そりゃ大型怪異を撃破しましたけど、共同で一機ですし」
「それに加えて戦闘中行方不明になったヒムラー少尉、不時着したゲーリング大尉の発見、救出でしょう?お二人からの感謝の手紙も添えられてるわよ。お話がとても面白かったですって、貴女そっち方向の才能あるの?」
「ヒムラー少尉とゲーリング大尉?」
 ヒムラー少尉といえばバイエルン王子を代父に持つ、良家の娘。彼女に何かあったら王子が飛んできて、部隊全ての男性諸氏がジャパニーズ土下座させられるとナウなヤングの間で話題沸騰中のゆるふわ魔女。
 そしてゲーリング大尉と言えば、真紅の女男爵の右腕。世界最強の航空魔女隊と謳われる、第1戦闘魔女大隊の副隊長であり、その部隊運営能力、上層部から予算をもぎ取る事にかけては右に出る者はいないと称される、カールスラントのグレートエース。
「すいませんちょっとその二人と、私の関係性が見えてこないんですが」
「あらそうなの?あと、ゲーリング大尉の手紙にブロマイドが同封されてたけれど」
 受け取った便箋を眺めてみると、裏のほうにクリップで何か写真が二枚止めてあった。
 恐る恐る写真を裏返す。
 一枚目は流麗な文字でリヒトホーフェンとのサインが書かれた、真紅の女男爵のブロマイド。
 二枚目は乱雑な文字でゲーリングとのサインと「サイン貰ってやったぞカス」との暴言が書かれた、鋼鉄の魔女の――見覚えのある、憎らしい顔の女の――ブロマイドだった。
「あのデブ図ったな!」
 ヒトラー軍曹の絶叫と、ヴィーデマン中尉の拳骨が炸裂するのはほぼ同時であったと言う。






 ヒムラー少尉から送られた新品の自転車は超格好良かったです。おしり。