「大将、こんな所にいたんですか」
ある日の事である。
昼食を取りに食堂へ集まってみると、私の相棒――ドミニカ・S・ジェンタイル――の姿だけが無かった。
何かあったのか?と、同僚に聞いても、皆知らないと答えるだけ。少し心配になった私は、昼食を放り出して、大将を探すために基地の中を駆けずり回っていた。
たっぷり数十分探した後に、ふらりと立ち寄った基地の隅の木の下で、大将は空を見上げながら、呆けているところであった。
「なんだジェーンか」と、大将は何事も無かったという風に答える。まるでこっちが悪いみたい。
「なんだじゃないですよ。昼食も取らずに、何やってるんですか。」
腰に手を当てて、ぷりぷりと怒った様に言ってみる。ちょっと可愛いかなって自画自賛。
「ジェーン」
「なんですか」
「なんで女同士で結婚できないんだろうな」
「ぶぇっ!」
おかしな物でも食べたのか、陽光に当たり過ぎて頭が可笑しくなってしまったのか。
大将が突飛な事を言い出すのは珍しくは無いとはいえ、今回のは流石に斜め45度程上にぶっ飛んでいた。
「何でだと思う?」
「知りませんよそんなの」
いくらでも理由付けすることは出来る。
同性同士では子供は作れないから。非生産的だから。
生物は異性を好きになる様にプログラミングされてるから。摂理に反する事は非道徳的だから。
けれど、多分大将はそんなありきたりな言葉を望んでいるようには見えなかった。
「ジェーンは私の事、好きか?」
大将が、その切れ長の綺麗な瞳で私を見つめる。その大きな手で私の手を包む。
どきりと心臓が高鳴る。
「馬鹿な事言わないでください、さっさと昼食を食べに行きましょう」
振り払おうとする大将が私の手を一層強く握る。
「ジェーンは私の事、好きか?」
一つ一つ言葉を搾り出すように。
いつもの軽口の中での遣り取りとは違う。重苦しい、告白の言葉だ。
「好きですよ。好きですけど、結婚なんて――
「私はジェーンと結婚したい」
顔が真っ赤になるのが解る。
軽口ではない本気の愛の言葉を聞くのは初めてだったから。
もし誰かプロポーズを受けるのならば、もっとロマンチックになんて考えていたけれど、大将にはそんな考えなどあるはずもなかった。
好きだと思ったら、好きだと言う。ぶっきら棒で冷めている様に見えるけれど、どこまでも真っ直ぐで、情熱的な太陽の様な女性だから。
「出来ませんよ。女同士ですから」
早く話を切り上げようと、ぶっきら棒に答えて、その手を振り払う。
でも、大将は意に介さぬといった風体で「愛してる」と、愛の言葉を囁くだけ。
「う…」
言葉に詰まる。
大将は乙女心を解ってない。でも、私の心の隅を的確に突付いてくる。
もう、その真っ直ぐな瞳で見つめないで欲しい。
もう、その胸に響く声で囁かないで欲しい。
これ以上、何かされると壊れてしまいそう。
「ジェーンはどうだ?」
大将は卑怯だ。
多分、答えなんか解りきってるくせに。
大将はずるい。
多分、死ぬ程恥ずかしがってる私を見て、楽しんでるんだ。
でも、今、死ぬ程恥ずかしいなら、これ以上恥ずかしくなっても、何も、変わりは、無いんだ。
「愛してます!」
そう叫んで大将の胸に飛び込むと、大将は私の身体を優しく抱きとめてくれた。
私のよりも、一回りも二回りも大きな大将。大将が私を抱きすくめると、私は大将の中にすっぽりと納まってしまう。
「世界で一番、大将の事を愛してます。世界の誰よりも、世界の何よりも大将のことが好きです」
愛してると声に出す度に、胸の奥がきゅんきゅんする。愛の言葉を聞かされるのも恥ずかしいけれど、愛の言葉を投げかけるのもとってもとっても恥ずかしい。
大将の胸に顔を埋めて、ぎゅーっと思い切り腕に力を込める。愛してる分だけ大将を抱きしめる。お返しにと、愛してる大将が撫でてくれる頭の中が蕩けて行ってしまいそう。
身体全体で大将を感じてられるのが、幸せ。
でもね、大将。私怖い。
「なにがだ?」と、大将が聞き返す。
「大将が私を好きじゃなくなるのが怖いんです」
私も大将も、まだ20になる前の小娘なんだ。ドッリオ少佐だって、竹井だって、あんなに大人びて見えてもまだ20にもならないただの少女なんだ。
だからこの気持ちが、大将を大好きなこの気持ちが、思春期の気の迷いで、目が覚めたらシャボン玉の様に消えてしまった、なんて考えると、眠れないくらい怖くなる。
自分の気持ちが消えてしまうだけでも怖いのに、大将が私の前から消えてしまうなんて思うと、泣き出しそうなくらい怖くなる。
けれど、大将は私の告白を聞いてくつくつと笑うだけ。
「何がおかしいんですか」
せっかく恥ずかしい告白をしたのに、笑って茶化すなんて、やっぱり大将は酷い。
「いや、ジェーンも私と同じなんだって、嬉しくなった」
「え?」
「私も怖い。ジェーンが私の前からいなくなるのが」
ジェーンは普通の女の子だから。20歳になって、あがりを迎えて、本国に戻って、いつか、男を好きになって、結婚するんだろうってずっと考えてた。と、大将は続ける。
そんな珍しく不安げな表情を浮かべる大将に、私は「普通じゃないですよ」と、微笑みかける。
「私は大将が好きなんですから」
「女の子が好きなのか?」
「違います。大将が好きなんです。大将みたいな変人を好きなる人間が普通な訳がありません」
今度は大将が力いっぱい抱きしめてくる。
身体が壊れてしまいそうなくらい痛いけど、多分、幸せって痛い物なんだ。
そこに大将がいるのを感じられるから、痛いのは幸せなんだ。
「国に帰ったら、田舎に小さな家を買おう。テキサスでもフロリダでも、アラスカでもいい。とにかく小さな家を買おう。そこに二人で一緒に住もう。毎日ジェーンがドーナッツを作るんだ。二人でドーナッツを食べて、静かに暮らそう」
「私はドーナッツを作りますけど、大将は何をしてくれるんで?」
「あー……抱きしめてやる」
「嬉しい!」
「大将はずっと私を愛してくれますか?」
「ああ、約束する」
「本当に?」
「ああ」
「私がおばさんになっても?」
「ああ」
「私がおばあちゃんになっても?」
「ああ」
「いつまでも?」
「死が二人を別つまで」
その、一週間後の話。
大将は撃墜された。
いつもの様に出撃して。
いつもの様な陣形で。
いつもの様に攻撃を仕掛けて。
それでいつもの様に終わりの筈だったんだ。
でも、ネウロイはいつもと違った。
大将が一撃を仕掛けて、撃ち洩らした敵機を私が仕留める。私達の黄金パターンのワンツーパンチ作戦。
でも、あの日のネウロイはちょっと硬かったんだ。いつもよりちょっと撃ち洩らしが多かったんだ。
焦った私は、ちょっとだけ回避が遅れて。
私を庇った大将が、被弾して。
大将はくるくると真っ逆さまに落ちて行った。
フェルが必死の形相で治癒魔法を掛けていたのを覚えてる。
連絡を受けたドッリオ少佐が、医者を連れてすっ飛んできたのを覚えてる。
担架に乗せられた大将が、宙に手を伸ばして、私の名前を呼んでいたのを覚えてる。
大将の手を握った。
私はここにいますと、叫んだ。
よかったと、大将が呟いた。
そして、掠れる声で、大将は最後に「I love you.」と囁いたんだ。
1945年 ドミニカ・S・ジェンタイル 戦死
ティナとパティは鼻水をずるずる垂らす位に号泣していて、フェルとルチアナは鼻の頭を真っ赤にしていた。
アンジーはその仏頂面を崩さずに、錦と天姫、そして竹井は扶桑仕込みの惚れ々々する様な姿勢で、ただ前を見つめていた。
ドッリオ少佐の声はいつもの陽気な物ではなくて、一軍人、一司令官として淡々と弔辞を読み上げていた。
誰も何も言ってはくれない。
貴女のせいじゃない、仕方が無かった。って言って欲しい。
彼女が死んだのは貴女のせいだ。でもいいんだ。
私には決められない。頭がおかしくなってしまいそうなんだ。
だから、誰かが決めて欲しい。
大将が死んだのは誰のせい?
大将がむやみに突っ込んで行ったから?
大将がネウロイを撃ち洩らしたから?
違う。
違うんだ。
私のせいなんだ。
私がちょっと回避を失敗したから。
あとちょっと訓練をしていれば。
ほんのちょっとだ。
ちょっとだけ。
訓練学校で教官が言っていた事を思い出す。
戦場では紙一重が生死を分ける。
かの砂漠の狐はこう言ったらしい。
流した汗の分だけ、血を流さなくて済む。
私は大将と約束したんだ。
私はいつでも貴女の背中にいると。
弔砲の音が響く。
戦死特進によって佐官となった彼女の為に二発の弔砲が発射された。
出棺の時間。
荘厳なリベリオンの国歌の中。
リベリオン国旗に包まれた彼女の棺にさよならのキスをする。
唇に伝わるのは、冷たい感触だけ。
彼女の温かい肌も。
彼女の温かい眼差しも。
彼女の温かい声も。
もう、どこにもないんだ。
大将の死は、翌日の新聞に大きく報じられた。
でも、それだけだった。
またその翌日には、どこかの部隊の誰かが大戦果を挙げただとか。
どこかの部隊が前線を押し上げただとか。
どこかの部隊の誰かが戦死したとか。
そんな事ばかりが紙面に載る。
大将の死はどこかの誰かの功績で上書きされて、どこかの誰かの功績は誰かの死で上書きされて行く。
それが戦争の日常なんだ。
もし、人類がこの戦争に勝つ日が来ても、大将の死は統計の一つでしかない。
十把一絡げの英雄の死として、大将の死は教科書に載るんだろう。
人々は知らない。何十、何百万の英雄の一人一人が、誰かを愛し、誰かに愛されていた事を。
大将がいないと、部屋はとっても静かだった。
あの人は口数も少なくて、何を考えているかわからない人だったけれど、いるだけで私は幸せになれた。
大将は私の太陽だったんだ。
部屋の隅では大きな鳥篭に入れられた、大将の使い魔がくぅくぅと悲しげな声を上げていた。
「ごめんね。大将、もういないんだ」
私がそう声を掛けると、彼はもう一度悲しげな声でくぅと鳴いて、それっきりだった。
ベッドに飛び込んで、洗い立ての枕に顔を沈める。
柔らかい。
良い匂い。
でも、全然気持ちよくなんて無かった。
洗い立ての布団に包まれるより、大将が抱きしめてくれた方が気持ち良かったんだ。
石鹸の匂いより、大将の匂いのほうが何倍も心地よかったのに。
どれくらい眠っていただろうか。
日は既に傾いている。
赤みを帯びた陽光を顔に受け、私は目を覚ました。
「大将、起きて――
夕飯の時間ですよ。と声を出しそうになって思い留まった。
そうだ、大将はもういないんだ。
夕食に向かおうかと、ベッドの淵に手を掛けたとき、枕元に何かがあることに気が付いた。
食べかけのチューインガムと小さな箱。
多分、大将の、物だ。
チューインガムを手に取る。
残り数枚となったガムの箱から、一枚だけ取り出して包みを開けると、ミントの爽やかな香りが辺りに広がった。
大将の匂いだ。
いつも食べていたガムの匂い。私が始めて彼女に出会った時に、食べますかと、差し出した、ガムの匂い。
箱を手に取る。
何が入っているのかはわからない。
大将が小物を集めていたなんて話は聞かない。
だから中身が気になって、ちょっとだけ開いてみる。
するとその隙間から、ころんと小さな指輪が転げ落ちてきた。
摘み上げて、まじまじと見つめて、そこではたと気が付いた。
これは私の指輪だ。
小さな小さなアクアマリンがちょこんと乗っかった、シルバーの指輪。
アクアマリンは三月の誕生石。
私の誕生石。
おしゃれに無頓着な大将が、自分の為に指輪なんて買う訳ない。
これは私の指輪だ。
大将が、私の為に、買ってくれたんだ。
左手の薬指に指輪を通すとそれはぴったりと収まった。
指輪を太陽に掲げてみると陽光が宝石の中で反射して、とっても綺麗だった。
もう一つの太陽が、私の中できらきらと輝いていた。
「たいしょおぅ…」
どうしよう大将。涙が止まらないよ。
大将が死んでから今まで涙なんて流さなかったのに。
「うぅ…うぐっ、ふぇ…うぇぇぇえええ…」
指輪とチューインガムを抱きしめる。
大将。
愛してる大将。
世界で誰よりも貴女を愛してる。
例え死が二人を別つとも、私は貴女を愛してる。
だから貴女はまだ私を愛してくれますか?
ありがとう。私を愛してくれた人。
ごめんなさい。私が愛した人。
そして
さよなら
またね
ドミニカ
ドミニカ・S・ジェンタイルの死の数週間後、ジェーン・T・ゴッドフリーも後を追うように戦死する。
彼女の死は、翌日の新聞に大々的に報じられた。
しかしまたその翌日には、どこかの部隊の誰かが大戦果を挙げただとか。
どこかの部隊が前線を押し上げただとか。
どこかの部隊の誰かが戦死したとか。
そんなことばかりが紙面に載るだけであった。
人々は知らない。何十、何百万の英雄の一人一人が、感情を持った人間であったことを。
人々は知らない。何十、何百万の英雄の一人一人が、誰かを愛し、誰かに愛されていた事を。